第5ステージは,敗戦と日本国憲法の歴史(誕生史)について考えます。
☆パワーポイント動くスライド)集⇒⇒⇒⇒ページが表示されましたら左クリックして画面を動かしてください⇒⇒⇒⇒敗戦と占領⇒⇒⇒9条賛歌⇒⇒⇒憲法はまだか・憲法解釈の変遷⇒⇒⇒贖罪の旅⇒⇒⇒フランシーヌの場合 ⇒⇒⇒憲法の基本原則

新憲法施行毎日新聞公布式典1公布式典2官報号外 憲法原本

1946年2月13日,日本政府から出された憲法の改正案を拒否したGHQは草案を提示。この案を基に憲法改正案が成立,1947年5月3日施行されました。吉田首相「誠に優れた憲法」と祝辞を発表,各地で記念行事が行われ,東京では花電草が走りました(写真は『特別報道写真集・戦後50年』―中日新聞―より)

---ちちをかえせ  ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる  にんげんをかえせ にんげんの  にんげんのよのあるかぎり  くずれぬへいわを  へいわをかえせ---峠三吉の詩より---

--詩碑は,広島平和記念資料館東館の北側の緑地帯にあります--(戦死者数);

 

世界を知らず,相手をあなどり,自己を過信し,比較政治の知識すら皆無の大日本帝国の無能な指導者たちは,大日本帝国=神国日本(神州)は不滅!聖戦完遂!天皇陛下のためならば何で命が惜しかろう欲しがりません勝つまでは鬼畜米英撃滅!とのスローガンで,全権力機構を動員して批判勢力を徹底的に弾圧した上で,全マスコミを利用し大衆を煽動して挙国(戦時強力)体制を作ったが,鬼畜米英にものの見事に惨敗!

しかし戦争犠牲者の大部分は一般大衆で,戦争指導者の犠牲はごくごくわずか!

 戦争に戦場銃後1945年8月15日まで日本にあった言葉で,侵略先の戦場で戦う兵隊に対して,日本本土=内地,つまり「銃」の後で戦う民間人に使われた呼称)もない!  

 

 

三笠宮殿下

「残虐行為に身が縮んだ」

  三笠宮殿下(84歳)は00年6月15日東京・文京区のホテルで開かれた日本画家,平山郁夫さん(70)の古希の祝いに出席し,挨拶で平山さんが,日中の文化交流に貢献していることに関連して,「戦時中,中国での日本軍の残虐行為を間近にして,身の縮む思いをしました。そのことを昭和天皇に報告したという経験もあります」と話した。

なお,三笠宮殿下は1943(昭和18)年から1年間,南京の総司令部に赴任した経験があり,84(昭和59)年に出版した自叙伝「古代オリエント史と私」の中では,自分が見聞きした日本軍の残虐行為について「生きた捕虜を銃剣で突きささせる」「毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました」などと書いている。

(2000年6月17日付『東京新聞』)

 

【勝敗は火を見るより明らか】

「私は明確にいえば自由主義に撞れていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです。…戦争において勝敗をえんとすればその国の主義を見れば事前において判明すると思います。人間の本性に合った自然な主義を持った国の勝戦(かちいくさ)は火を見るより明らかであると思います」

(土原良司・慶応大学経済学部:沖縄で戦死・22歳―『きけわだつみのこえ』より)

 

【人間性を奪う軍隊】

「軍隊、それは予想していた何層倍もテリブルな(恐ろしい)所です。1ケ年の軍隊生活は、遂に全ての人から人間性を奪ってしまっています。2年兵はただ、我々初年兵を奴レイのごとくに、否機械のごとくに扱い、苦しめ、いじめるより他に何の仕事もないのです。

(福中五郎・早稲田大学政経学部:ブーゲンピル島で戦死・18歳―『きけわだつみのこえ』より)

 

『本裁判所の意見では、日本が1941年12月7日に開始したイギリス、アメリカ合衆国及びオランダに対する攻撃は戦略戦争であった。これは挑発を受けない攻撃であり、その動機は、これらこれらの諸国の領土を占拠しようとする欲望であった。侵略戦争の定義を述べることがいかに難しいものであるにせよ、右の動機で行われた攻撃は侵略戦争と名付けないわけにはいかない』(東京裁判判決文)

 

軍隊というものは本来,つまり本質としても機能としても,自国の住民を守るものではない。軍隊は軍隊そのものを守る。…軍隊行動の相手は単一である。敵の軍隊でしかない。従ってその組織と行動の目的も単一で,敵軍隊に勝とうという以外にない司馬遼太郎『街道を行く--沖縄・先島への道』)。

 

『満州事変以来太平洋戦争に至る一連の経過を見たときに、侵略戦争でなかったという認識は通りませんよ。当時満州は日本の生命線だと言われていた。しかし、満州は中国の領土であり、人民なんですよ。よその国の領土と国民が日本の生命線だといってその権益が侵されたと満州全土を占領する、これは文字通り侵略ですわな』(元自民党副総裁・後藤田正晴−1995年5月20日付『朝日新聞』)

 

敗戦時(1945年)の日本人の平均寿命

1999年の日本人の平均寿命

23.9歳

77.16歳

37.5歳

84.01歳

 

 

「私たちすべての者は、罪責のあるなしにかかわらず、老幼を問わず、あの過去を我と我が身に引き受けなければなりません。過去を克服することが問題なのではありません。克服するなど決してできるわけはありません。あの過去に対して目を閉ざす者は、結局は現在に対しても盲目になります。自分たち自身の内面における思考と感情の記念碑を、過去の過ちを忘れないために築き上げることが肝心であります。この40年の発展を、感謝を込めて記憶にとめることが許されるのは、私たちが自分たち自身の歴史的記憶を現在においてとるべき態度、並びに私たちを待ち構えている未解決の諸問題のための路線として活用する場合であります。若者たちは、当時起こった過去のでき出来事に対して責任を負っているわけではありませんが、歴史の中で過去の出来事から生成する事態に対しては責任を負っております。私たち年長者が彼ら若者たちに対して負っているのは、夢を実現してやることではなく、誠実かつ率直な態度であります。そして、今日5月8日に、できる限り真実を直視しましょう。」

 

 

1945年5月8日から40年目の日、第2次世界大戦終結とドイツ無条件降伏40周年を記念してのリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー第6代ドイツ共和国大統領=統一ドイツ初代大統領の演説の一部

 

 

 

「今日、少しでも反省してみればわかるように、強固であることは、数多くの犯罪を犯すことと同義である。日本は強国となる過程において、数々の犯罪を犯したアジアの隣人たちの生命、財産、その人間として生きるべき権利と自由を踏みにじった。強国としての日本の行動は、結果においてアジアの隣人たちに少しも寄与し、貢献するところが全くなかったとは言えないかのしれない。しかし、たとえそうであっても罪悪は罪悪である。日本はアジアの隣人たちに甚しい危害と迷惑を与える危険な存在になった。」

 

 

(哲学者山崎正一の清冽な自己批判の言葉)

 

 

 

「私は死刑を宣告せられた。誰がこれを予測したであろう。年齢30に至らず、かつ、学業半ばにしてこの世を去る運命を誰が予知し得たであろう。波瀾の極めて多かった私の一生はまたもや類まれな一波瀾の中に沈み消えて行く。我ながら一篇の小説を見るような感がする。しかしこれも運命の命ずるところと知った時、最後の諦観が湧いて来た。大きな歴史の転換の下には、私のような陰の犠牲がいかに多くあったかを過去の歴史に照して知る時、全く無意味のように見える私の死も、大きな世界歴史の命ずるところと感知するのである。

日本は負けたのである。全世界の憤激と非難との真只中に負けたのである。日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道を考える時、彼らの怒るの全く当然なのである。今私は世界全人頭の気晴らしの一つとして死んで行<のである。これで世界人類の気持ちが少しでも静まればよい。それは将来の日本に幸福の種を遺すことなのである。

私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である。しかし今の場合弁解は成立しない。江戸の敵を長崎で討たれたのであるが、全世界から見れば彼らも私も同じく、日本人である。彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のように見えるが、かかる不合理は過去において日本人がいやと言うほど他国人に強いて来た事であるから、あえて不服はいい得ないのである。彼らの眼に留まった私が不運とするより他、苦情の持って行きどころはないのである。日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。笑って死んでける。

(中略)

しかしこの日本降伏が全日本国民のために必須なる以上、私一個の犠牲のごときは忍ばねばならない。苦情を言うなら、敗戦と判っていながらこの戦いを起した軍部に持って行<より仕方がない。しかしまた、更に考えを致せば、満州事変以来の軍部の行動を許して来た全日本国民にその遠い責任があることを知らねばならない。

我が国民は今や大きな反省をなしつつあるだろうと思う。その反省が、今の逆境が、将来の明るい日本のために大きな役割を果たすであろう。それを見得ずして死ぬのは残念であるが致しかがない。日本はあらゆる面において、社会的、歴史的、政治的、思想的、人道的の試煉と発達とが足らなかった。万事に我が他より優れたと考えさせた我々の指導者、ただそれらの指導者の存在を許して来た日木国民の頭脳に責任があった。

かつてのごとき、我に都合の悪しきもの、意に添わぬものは凡て悪なりとして、ただ武力をもつて排斥せんとした態度の行き着くべき結果は明白になった。今こそ凡ての武力腕力を捨てて、あらゆるものを正しく認識し、吟味し、価値判断する事が必要なのである。これが真の発展を我が国に来す所以の道である。

あらゆるものをその根底より再吟味する所に、日本国の再発展の余地がある。

(中略)

「処刑半時間前擱筆かくひつ=筆をおいて書くのをやめること)す。おののきも悲しみもなし絞首台母の笑顔をいだきてゆかん」

 

 

C級戦犯として、無実の罪に問われて1946年5月に処刑された当時28歳木村久夫上等兵(京都大学経済学部卒)が、シンガポール・チャソギー刑務所のコンクリートの寝台の上で偶然入手した川辺元「哲学通論」の余白に書ききつけた1万1千5百余の文章と短歌11首に中心部分。彼は、日本の全国民にかわり、生き残った戦犯たちにかわり、全世界にわびつつ、みずから絞首台に上がったが、その声は日本国憲法の制定で日本全土に蘇った。

 

 

『昭和19年10月、特攻隊に転出を命じられたとき、死の絶望感に打ちひしがれてしまった。翌年の3月から九州の鹿屋基地では、毎日のように沖縄に向かって特攻隊が飛び立った。二度と帰還できない戦友を幾百人見送ったことか。そのときの光景が今も生々し<脳裏に焼きついている。出撃前夜に別れの酒を酌み交わしながら故郷の歌を歌い、最後に【戦争はいやだ】と吐き捨てて一気に飲み干した同郷の隊員も、10時間後には白い歯を見せながら手を振って雲の果てに散ってしまった。若い特攻隊員はみな純枠だっただけに、侵略戦争への加担の無念さはいかほかりか計り知れない。今の平和憲法は彼らの化身であり、9条には亡き戦友たちの無念が晴られされていると言っても過言ではない。戦争を放棄し、平和に徹する明確な法文化こそ、戦死者に対する最大の回向と考えている。戦後一貫して【平和憲法は私の命】を信条にしてきた私は、改憲の強まる風潮に危機を感じながらも、戦争の実体験一を人でも多くの人に語り、改憲阻止の声を結集しなければ、と決意している。それが生き残った私の償いと責務と思うからだ』(広島市の69歳の男性の1994年9月11日付『朝日新聞』−「声」より)。

 

新憲法の花は、なんといっても、第章の戦争放棄の大宣言であろう。

「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。前項の目的を達成するため、陸海軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」(日本国憲法第2章第9条

・・・私も多年の平和論者であるが、正直に言って、かくまでに徹底してはいなかった。私はこの原案の作成者と、この原案の冒頭に「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を希求し」という文句を加えて、これを可決した議会に心から敬意を表する。

この条文の審議にあたり、「我が国だけが戦争を放棄しても、他国がこれに賛同しない限り、その実効は保障されぬではないか」という委員の質問に対し、政府は「この規定は、我が国が好戦国であるという世界の疑惑を除去する消極的効果と、国際連合自身も理想として掲げているところの、戦争は国際平和団体に対する犯罪であるとの精神を、我が国が率先して実現するという積極的効果がある。現在の我が国はまだ十分の発言権を持って、この後段の積極的理想を主張しうる段階には達していないが、必ずや、いつの日にか、世界の支持を受けるであろう」と答えたと報せられたが、この答えもまことに結構である。ただ一言、老婆心を持って言っておきたいことは、この一片の文章を見ただけでは、我が国を好戦国であるとする世界の疑惑を取り除く事はできないであろうということである。このうえは、日本人の生活のあらゆる面において、我々が真の平和愛好者であることを、実践を通して証明しなければならぬ。

尾崎行雄民主政治読本』(1946)、『尾崎咢堂全集第10巻』38

 

B―29による空襲・原爆投下(東京広島長崎松山―1:―2松山大学原爆投下目標選定委員会)⇒原爆許すまじ化学兵器(負の遺産)

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ここでは,日本帝国主義による海外侵略戦争の本質と,第2次世界大戦の性格を政治的側面だけではなく,法律の観点からも分析した上で,連合国に敗戦した意義と,その後GHQの指導によって遂行された民主化政策について論述します。同時に,日本に君臨し,「臍天皇」−臍(へそ)は朕(チン)の上ある−と言われたマッカーサーに関して説明を加えます(衝撃の写真)

歴史を忘れた民族は滅亡する。
それにしても私たちの社会は,なぜ過去に学ぼうとしないのだろう!!

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★外交文書:シベリア抑留、GHQが「水増し」数字押しつけの事実が判明第2次大戦敗戦時、大量の日本人がソ連の捕虜となった「シベリア抑留問題」(5万人を超える犠牲者を出した)で、1949年当時の日本政府が公表した抑留者数が連合国軍総司令部(GHQ)から押し付けられたものだったことが、12月20日に公開された外交文書で明らかになった。約20万人とういう日本側の推計を大きく上回る約47万人と、「水増し」数字が公式データとされた。これは米・ソ対立の冷戦構造の世界情勢から米側が、シベリア抑留問題を「対ソけん制カード」として利用したことの現れ。

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参考リンク集

宣戦の大詔⇒⇒⇒⇒ 英米共同宣言⇒⇒⇒⇒連合国共同宣言⇒⇒⇒⇒カイロ宣言⇒⇒⇒⇒ヤルタ協定⇒⇒⇒⇒ポツダム宣言⇒⇒⇒⇒降伏文書⇒⇒⇒⇒☆ 終戦の詔⇒⇒⇒⇒ 世界人権宣言⇒⇒⇒⇒(人権宣言−谷川俊太郎訳⇒⇒⇒⇒国際人権B規約⇒⇒⇒⇒女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約⇒⇒⇒⇒こどもの権利条約(児童の権利に関する条約) ⇒⇒⇒⇒国際労働機関憲章(抜粋)⇒⇒⇒⇒ILO87号条約IL098号条約⇒⇒⇒⇒ こどもの権利条約(児童の権利に関する条約)

国連世界人権宣言50周年のポスター

  さて日本国憲法誕生の中で,最大の国家機密とされ,また謎めいている時期は,アメリカが憲法草案(マッカーサー憲法草案)を日本政府に示し,それを基にした憲法改正案が,政府の案として国民に提示されるまでの2カ月余りであります。何故アメリカ(マッカーサー)は,憲法制定を急いだのでしょうか? そして憲法の持つ意味は!⇒⇒「不磨(ふま)の大典不滅の大法典の意味で、大日本帝国(明治)憲法発布勅語で使われた言葉)

 そのため,この課題を解明したジェームス三木脚本・NHK制作土曜ドラマ『憲法はまだか!を鑑賞します。この作品では,憲法成立過程を中心に,日本国憲法の制定(誕生)の最も秘められた裏面史が描かれています。その上で,日本国憲法の基本原則,すなわち近代国家の統治制度である三権分立制度及び国家成立以前からの権利(天賦的人権)である国民の基本的人権を中心に解説します。

 以下は,ドラマで津川雅彦扮する国務大臣松本蒸治(政府の憲法問題調査委員会委員長・元東大法学部教授)と近藤正臣扮する東大法学部教授・宮沢俊義とのやりとりの一シーンです。

松本・「GHQの憲法案はどうかね」

宮沢・「なかなかエキゾチックな内容ですね」

松本・「………‥…??」

宮沢・「GHQ案は,よくできていますよ。あのままでいいじゃありませんか」

松本・「皮肉かね」

宮沢・「皮肉ではありません。わたしは一読して感動しました。目からうろこが落ちる思いでした。……」

松本・「目からうろこ…。あれは民政局の素人が作ったんだよ」

宮沢・「そうでしょうね。憲法学者にはとても思いつかない条文です正直いって私は学者の限界を感じました。もともと法律家というものは,保守的な考えしかできないんだと…,思い知らされました‥‥‥。失礼ですが,憲法調査会のメンバーも大臣も明治憲法しか頭にありませんでした。明治憲法を改正するという固定観念に支配されていたんです。そこが間違いのもとでした」

松本・「私を批判しているのかね」

宮沢・「自分自身を批判しているのです」

松本・「するとなにかね。宮沢君は,アメリカが押しつけた憲法案をすんなりのめというのかね」

宮沢・「押しつけとはいえないでしょう。われわれはナショナリズムにこだわりましたが,あの憲法はインタナショナルです。戦争を放棄して平和国家を建設する。この空前絶後の条文には,深く揺さぶられました。国家という概念を飛び越えて,人類の理想を示しています」

松本・「宮沢君は,いつから理想主義者になったんだね。憲法は国家経営の基本法ですよ。絵空事をならべてもね,現実の政治には対処できません。インフレの対策には物価統制令が必要だし,預貯金を封鎖して,新円の発行が必要なんです」

宮沢・「それは別の問題でしょう」

松本・「別の問題……」

宮沢「理想をもたない人間には,人間としての価値がありません!」

松本・「わかった。…君には頼みません‥!!」

宮沢・「失礼しました」

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☆「この世に生まれてざっと50年。私(日本国憲法)は一生懸命平和を守ってきました。あれから日本は一度も戦争を起こしていません。どうか私を誉めてください。私はまだまだ役に立ちます。どうか私を守ってください……それを決めるのは,主権を持った皆さんです」GHQで英文の憲法草案が作られる過程憲法に男女平等を書いたベテア・シロタ・ゴードンさんを描いた》ジェームス三木脚本・青年劇場{真珠の首飾り}舞台の一場面から)

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☆「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有することを確認する」……「こんな素晴らしい文章は見たことありません。これは日本の憲法ではなくて,世界の憲法ですよ」(同上)⇒憲法前文(パワーポイント動くスライド⇒ページが表示されましたら右クリックして動かしてください)。

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「憲法は国家が国民の権利を侵さないように縛っている。だから縛られている権力の側が憲法を変えようとする動きは,危ない」(ジェームス三木)

【戦争は、数えきれないほどの人を殺し、お互いを僧しみ合わせる。そこからは、悲しみしか生まれない。人間、一人ひとりの個性、能力、行状それぞれ異なるものだが、この事実を認めないどころか、人間の生きる自由までも奪ってしまうのが戦争である。それは、人間が人間のすべてを否定し、他人の生命をも手の内に入れ、左右してしまうという恐ろしいことなのだ】(網野幸恵・学生・21歳−1999年1月25日付『東京新聞』−「オピニオン」より)。

「戦争放棄や人権保障は,この国の個性であり特徴である。それを『マッカーサー元帥の歯だから抜いてしまえ』などと言って変えてしまえば,この国の形が壊れてしまう」(井上ひさし-97年憲法記念日での講演)

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《手から手へ 心から心へ 平和憲法を 21世紀に》→平和アピール(憲法9条を守り,戦争への道にストップを)

 

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解説記事メニュー集
1.侵略戦争
 2.治安維持法 3.無条件降伏−敗戦 4.降伏文書と宮様内閣 5.マッカーサー・ポツダム宣言・衝撃写真 6.東条の自殺と米内・井上 7.日本の徴兵制(招集令状) 8. 特攻 9. 大本営 10.財閥解体 11.教育改革 12. 敗戦直前の松山 13. 敗戦直後の松山 14.玉ぐし料訴訟最高裁判決文(『裁判所時報』1192号) 15. 玉ぐし料訴訟最高裁判決コメント 16. 玉ぐし料訴訟高松高裁判決コメント 17. 憲法と宗教(政教分離原則) 18. 日本政治年表 19. 日本政治略史−田中政治の終焉 20.'95年参議院議員選挙の総括 21. PKO法と日本国憲法 22. 日本国憲法の制定 23.生徒憲章 24. 政治家の汚職と疑惑(年表) 25.疑獄事件での自殺者 26. 悲劇の予言者・海軍大佐水野広徳 27.戦後補償−「花岡事件」−東京地裁判決 27.戦後首相在職日数 29. 逮捕許諾 28. 天下り−道路公団事件(国家公務員法103条) 29. 腐敗防止に対する提言 30.二世議員 31. 新井将敬代議士自殺 32.用語解説  33. 戦後語録ランキング  34. 政党交付金 35. 在外邦人の選挙権 36. 日弁連勧告書(朝鮮学校等の大学受験資格等)37. 投票率 38.世界の選挙制度 39.公職選挙法の主な改正点 40.沖縄の告発 沖縄の基地)41.ひめゆりの塔(慰霊塔)42.全国水平社創立大会宣言(日本で初めての人権宣言)43.日本における差別問題 44.憲法9条政府解釈の推移 45.中国人への贖罪(しょくざい)の旅を続ける〃人狩り〃した元日本兵の償い 45.男女平等スカーフ 46.政党助成金 50.戦後補償裁判例 51.教育勅語 52.部落地名総鑑事件 53.差別戒名 54.女人禁制 55.入籍 56.関釜裁判 57.再選挙 58.情報公開(知る権利) 59.日の丸・君が代 60. 検察審査会 61. 国会 62広島・長崎平和宣言99 62.日独伊戦比較 63.戦死者数 64 登戸研究所 65リンゴの歌 66.学徒出陣 67.インパール作戦 68撃ちてし止まん 69.国家総動員 70.原爆投下委員会 71.ルーズベルト 72. 戦後国会 に見る野党による主な審議拒否の例 73. 世界各国の女性国会議員比率 74.法律ができるまで  75.クエスチョンタイム 76.玉音放送 77.化学兵器(負の遺産)78.帝国議会

 

参考リンク集

1.日弁連宣言'93−戦争における人権侵害の回復を求める宣言 

2.日弁連宣言'95−戦後50年・平和と人権に関する宣言 

3.日弁連宣言'97−憲法50年・国民主権の確立を期する宣言 

4.憲法50年日弁連会長談話-'96 

5.日弁連意見書−Subject:98-03-06,慰安婦国家賠償勧告

.中学校社会科教科書における「従軍慰安婦」の記述に関する日弁連会長声明−'97

.市民の広場(戦争・平和)

.太平洋戦争年表ホームページ(戦場となった地域ごとに経過などをまとめている山本裕二郎さんホームページ)

.A-Bomb WWW Museum(広島に落された原爆についての正確な情報を伝えるために,アメリカ人を含む多くのスタッフの協力でつくられたサイト)

10.千羽鶴プロジェクト(日米の小学生の電子メールによる交流から始まったプロジェクト)

11.広島市ホームページ(平和宣言や中国,フランスの核実験に対する抗議文など)

12.長崎市平和宣言(平和事業の紹介や原爆投下とその被害に関する資料など)

13.広島原爆資料館

14.崎への原爆

15.ノーモア長崎

16.
あの戦争は何だったのか?インターネット版日本の侵略展

17.南京大虐殺の真相

18. 日本の戦争責任資料センター

19.戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索(京都大学水野氏のページ――1905年頃から1945年までの大阪朝日新聞・大阪毎日新聞・神戸又新日報・神戸新聞・萬朝報・社会運動通信・無産者新聞などに掲載された朝鮮人関係の記事見出しが検索できるデータベース)

20.青法協(青年法律家協会)-青年法律家協会は,憲法を擁護し平和と民主主義および基本的人権を守ることを目的に,若手の法律研究者や弁護士等によって設立された団体で,多くの会員が,戦後補償問題や薬害エイズ(HIV)訴訟など,幅広い人権救済の活動に取り組んでいる。

21. 国際人権(自由権)規約委員会の最終見解に対する会長声明

22.死刑執行に関する日弁連会長声明

23. 戦後憲法史概略

24.
教育勅語

25. 憲法9条に関する判例の要旨

26.沖縄における軍隊・その構造的暴力と女性〜武器によらない平和の実現を〜

27.20世紀の空白埋める史料--共同通信社が米・ニューヨークの新聞社「デーリー・ニューズ」の協力で入手した第2次大戦前後の世界中の戦争記録写真約2万5千点中,日中戦争関係などの一部を公開したページ。日本に現存しないオリジナルプリントも含まれ,20世紀の空白部分を埋める貴重な史料。

28.「ナヌムの家」および「日本軍慰安婦歴史館」(日本人スタッフによるホームページ−−元「従軍慰安婦」のハルモニたちが,あなたの訪れるのを待っています)

29.日中・太平洋戦争時代年表-日中戦争及び太平洋戦争時代の1937(昭和12)年から1945(昭和20)年までの出来事を記した年表です。

30.日本占領期年表−,GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が東京に設置された1945(昭和20)年から,対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効によりGHQが廃止された1952(昭和27)年4月28日までを対象とした年表です。

31.太平洋戦争年表ホームページ-過去の戦争の歴史をかえりみることによって将来の平和を考えることに役立てばと思って作られたホームページです。

32.大日本帝国海軍-太平洋戦争時の大日本帝国海軍のすべてを見せるホームページです。

33.懐かしい昭和の思い出  

34.731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟

35.Odyssey-731部隊による人体実験の記録は,米国によって隠蔽された。半世紀後ミドリ十字が中心となり引き起こされた薬害エイズとの不思議な関係・・・

36.NJ Massacre南京大虐殺の資料をお探しの方はここをご覧下さい。アメリカを中心として世界中から報告された南京大虐殺に関するデータが集められています。特に写真の数は群を抜いています。
37.桜散る日にMBS―開局45周年記念:戦後50年特別企画

38.沖縄戦の軌跡(忘れまい沖縄戦)


参考ビデオ(映画)集

1.ニイダカヤマノボレ 2.国会100年 3.国会−未来へのはばたき .『日本国憲法を生んだ密室の9日間』 5.『私は男女平等憲法を書いた』 .『検証 第9条は孤立しているか?』 7.『黒い雨』 8.『アウシュビッツの女囚』 9. 『暴力の街』 10. 『真空地帯』 11. 『武器なき闘い』 12『カウントダウン』 13『きけ,わだつみの声』 14.『ひめゆりの塔』 (東宝版) 15.『ひめゆりの塔』(東映版) 16.『南京1937』 17.『ノモンハンの夏』 18.『日本のいちばん長い日』

参考CD−ROM集

1.『日本・戦後史年表事典』 2.『世界万国事典』  . 『第2楽章』 .『第2楽章-長崎』 5. 『聞く憲法』  . 『9条讃歌』(カセット)

人権リンク集
1.
人権サイト(市民の広場)

2.アムスティ・インターナショナル日本支部

3.(財)人権教育啓発推進センター (「人権」は骨みたいなもの)

4.人権リンク(さまざまな人権関係機関のホームページ)

5.法務省人権擁護局

6.国際人権教育研究フォーラム(奈良県の小中学校の教員でつくる人権教育をテーマにした実践などを紹介するページ)

7.部落問題・人権問題情報誌『みちくさ』(大阪大学部落解放研究会発行の冊子のWWW版)

8.大阪市立中島中学校(多彩な人権教育の様子を報告するホームページ)

9.老人ホームにおける人権 (特別養護老人施設・カトレアホームの施設長,高橋健一さんが人権の観点から高齢者福祉を論じるホームページ )

10.水戸パッケージ・知的障害者虐待事件(水戸事件)アーカイブ(知的障害を持つ従業員に対する暴行・虐待事件を告発。10万人署名運動も呼びかけている)

11.ボタ山のある街で人権・平和を考える会(「筑豊」からの声)

12.人権・反差別問題リンク集――このページでは,反差別国際運動に関連した活動だけでなく,ひろく人権問題を取り扱っている日本語のサイトをご紹介しています

13.反差別ネットワーク人権研究会――人権研究会はネット使用者が主人公として人権を守る会です。検索がこのホームページからもできる「検索の窓」も用意されています。

14.大阪人権博物館(リバティーおおさか)――人権,歴史,文化についてのニーズに応える博物館。

15.水平社歴史館――人権情報発信基地としての役割を担い,あらゆる差別撤廃に向けた情報を発信する施設をめざすサイト。

16.三重県人権センター――三重県は,90年2年3月の県議会において,あらゆる差別をなくしていくため,他府県にさきがけて,「人権県宣言」を決議し,人権の尊重を県行政における最優先の課題とする姿勢を打ち出しました。この宣言の主旨に沿って,人権尊重の思想を広く県民に普及し,部落差別を始めとするあらゆる差別をなくしていくための拠点施設として設置されたセンター。

17市民・平和運動リンク−−市民運動・平和運動のホームページリンク集。

18.環境・公害関係のリンク――環境・公害関係のホームページリンク集。

19.ミュージアムガイド――人権博物館のリンク集。

20.日本名正憲法制定――こんな法律あったらいいな。


第6ステージ――近代市民法の指導原理
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