もともと天文学少年で今でいうとオタクの権化だった
高木 「宇宙戦艦ヤマト」が最初にテレビで放映されたのはもう31年前ですね。
私は当時、小学5年生で、天文に興味をもちはじめ、親に頼み込んで買ってもらった天体望遠鏡で、毎晩のように星を眺めていました。そんな1974年のちょうど10月から「宇宙戦艦ヤマト」のシリーズが始まりました。
「宇宙戦艦ヤマト」は宇宙を旅してイスカンダルまで行くわけですが、出てくる話が非常にリアルで天文学的にも正しい情報に基づいていたので、毎週テレビにかぶりつくように観ていました。
松本 もともと私は天文学少年といいますか、船をはじめ飛行機、宇宙開発、そういったものの、今でいうと、オタクの権化だったんです。
実は、「ヤマト」の前にも宇宙ものはたくさん描いていて、1956年に18のときに描いたもので、「宇宙作戦第1号」というのがあるんです。これは、第二の居住地としての火星の大気の改善を目的に火星に行って、雨を降らせる話です。それも徹底して日本の技術でやることを前提にして描いています。自分の描いたせりふで今でも苦笑いするのは「諸君、この宇宙船はまだテストもしていない。しかし、行かねばならん。日本の科学を信じてくれたまえ」と言って飛び出すのです。
宇宙との出会いは小学校6年生くらいで、今の京都産業大学の初代総長の荒木俊馬博士の「大宇宙の旅」という本だったのですが、図書館でしか読めなかったので、姉にせがんだら「あなたの漫画が新聞か雑誌に載ったら、買ってあげる」と言ったんです。中学1年で毎日新聞西部本社の中学生新聞に載り買ってもらえました。当時340円か50円の高い本で、箱に入った立派な本でした。それで宇宙の概念などを把握しました。
まだウィルソンの望遠鏡しかなくて、パロマ山の200インチ望遠鏡ができる前の本です。それでもマゼランやアンドロメダ星雲などの写真はいっぱい載っていました。非常に興味をもち、自分のつくった望遠鏡で月のクレーターにトライしたんです。
高木 望遠鏡を自作されたんですか。
松本 ええ。その当時、買うなんていうことは不可能ですから。
その次は火星の運河が見たいと思ったわけです。中学で私のとなりの席が眼鏡屋の伜で、「漫画を描いてきてくれたら、レンズを持ってきてやる」と言うから、描いたら、コーヒーカップくらいのレンズを持ってきてくれたんです。自分で砥石で磨いてピカピカにして見たんですけど、歪みが出ているんですね。それと磨き方が変だったんでしょう。運河までは見えなかった。
高木 火星の運河も、今はクレーターや渓谷とわかるようになりましたね。
松本 最初は昆虫漫画を一生懸命描いていました。私はミツバチになりたいと思っていたんです。あのサイズで飛び回り花を見たら、どんなにきれいだろうと。そういう漫画を高校在学中に小学生毎日新聞に連載していました。その途中から、美しい女性の出てくる漫画を何が何でも描きたくなりました。
実は、「大宇宙の旅」という物語風宇宙科学の本は、フォトンという光の女神が少年をいざなって全宇宙を駆け巡って、宇宙の概念を教える話です。挿絵までご自分で描かれているんですね。
それで宇宙との距離などを把握していたんですが、「ヤマト」は1974年、私が36になったときですから、当時の距離の測定値と違うわけです。それでも、そのときの大マゼランまで14万8000光年、アンドロメダまで74万光年が頭に染み込んでいます。それの2倍くらいの数値に修正されていたので、天文学者に聞いたんです。そうしたら、「この大宇宙において100万光年、200万光年は誤差のうちに入らんのじゃ。好きにせい」ということで、データが古いのを承知で、14万8000光年という距離を大マゼラン星雲のイスカンダルまでの距離としてとったわけです。
高木 確かに宇宙は壮大ですから。
誤解される危険があったので地球を助ける船にした
松本 「動画制作には予算がかかるから、この世界は人のふんどしでないと相撲は取れない」ということで、しばらく少女漫画を描いていたんですけど、目に星がある少女漫画というのはどうも性に合わなくなってきた。そしてやたら4次元やら宇宙人やら出すものですから、人気がなく打ち切りになります。
少年誌は先輩たちが押さえていて、私も赤塚不二夫も石森章太郎も藤子不二雄氏もちば(てつや)ちゃんも全部少女雑誌にしか描けなかった。少年漫画は先輩の壁が厚かったんです。少女漫画は確立された年代が浅く新人を大いに採用してくれたんです。「これでいいのだッ」という赤塚氏が少女漫画出身というのは驚くでしょう。
高木 ええ、意外な事実…ですね。
松本 それで、女性の漫画家が登場してき始めると、見事に手塚治虫さん以下我々全員駆逐されました。男は何を着ているのかさえ知らないですね。髪のとかし方もわかりませんよね。行き場を失って、うろうろしているときに少年漫画からやっと声がかかり少年漫画を描き始めたんです。
宇宙にトライすることが可能になって、少女漫画の遺産で唯一有効に働いたのは美人が描けたことです。
しかし「ヤマト」を依頼されたとき、あまりにもテーマが重かったんです。戦艦大和は3000名の亡骸とともに海に眠っている。アニメは茶の間に入るから、大和の遺族や遺児やその関わり合いの人たちが見ますね。それと誤解をされる危険もありました。最初の企画書の内容を徹底的に洗い直して、地球を助けるための船、生きて帰るための船にして、設定を変更したのです。
イスカンダルというのは、実は作家の豊田有恒さんがつけた名前です。意味はアレキサンダーですね。要するに、アレキサンダーの東方遠征のときに各地に理想郷をつくった、という伝説化した物語があるわけです。今でもイスカンダリーナとか、イスカンダリアという町があります。アルカディアやユートピアと同じ意味です。
そして、相手方に据えたのがマゼランのガミラスですね。実は、最初はカーミラスだったんです。カーミラは女吸血鬼です。男にしたものですから、面倒だからと濁点を振ってガミラスにしたんです。
デスラーをヒトラーだと思い、ドイツの青年が悲しい顔をして私に迫ってきたので、「そうじゃない。デス=死、ラー=太陽、『死の太陽』という意味だ」と言ったら、にっこり笑ってくれたのが忘れられないです。
私は名前をつけるときは全部意味をもたせます。「ヤマト」で放射能除去装置と宇宙船の設計図を持って火星で倒れて、すぐ息を引き取るサーシャはたぶん女の名前だろうと思ってつけたんですけど、後でロシアに行ったら、「おれはサーシャだ」というごっつい大男が出てきたんですよ(笑)。「サーシャは男の名前だ」と言うんです。たまげました。でも、まれに女性にもつけるというので、ほっとしたんですけどね。
ヤマトが放射能除去装置をもらいに行く設定の理由とは
高木 なぜ「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」に美しい女性が必ず出てくるのか、今の経緯をお聞きして、良くわかりました。
「宇宙戦艦ヤマト」は放射能で汚染された地球を救うためにイスカンダルへ放射能除去装置をもらいに行く、という設定ですが、こういう設定をされたのは何か理由があったんですか。
松本 原子力は使い方によってはもろ刃の剣なので、非常に危険な部分もあるとはっきり認識はしていたわけです。それから広島・長崎です。私の友人のおやじも広島へ行って死んでいます。北九州の小倉に友人がいますが、あの上に原爆搭載機が25分間も旋回していた。小倉は第一目標だった。それで長崎へ行きましたね。そういう悲惨な出来事を知っているために、放射能に対する恐怖感はずっとあったんです。
放射能に汚染された地球はどういうことになるか、地上には住めないというような状況、だから除去装置が必要だと。残念ながら現在それに相当するものはないですね。
高木 放射能除去装置と同等とは言えませんが、それに近いものが今検討されています。原子力発電は数を増やして、現在日本の電力の3分の1くらいを供給していますので、そこから出る廃棄物をより良い方法で処理することを追求することは原子力技術者の義務でもあり、また夢でもあります。
松本 日本だけではなくて、世界中に原子力発電はたくさんありますけど、今は歯を食いしばって使わざるを得ない状況だと思っています。
人間は何で知力を授かったか。私は宗教的な意味で言っているのではなくて、両親にたとえれば、「あなたたちがその知力で地球上の生きとし生けるもの、地球環境すべてを守りなさい」といって考える能力をもらった。その究極が科学技術、科学文明の構築にあったと思うんです。
そこで、自分なりに考えているのは、太陽光発電と原子力発電所は山ほどつくる。ただし、全部宇宙空間に持っていくわけです。
ただ、この前、原子力発電所を見学させてもらったんですが、原子炉はともかく、蒸気タービンの部分を空中に浮かべるのは大変だと思いました。
でも、将来、宇宙から電力を送るような方法をとるだろうと思います。宇宙開発はそういう面でも非常に大事で、問題がなければ月や火星で発電して、地球へ送る方法が可能になると信じています。
ですから、宇宙開発と原子力発電は、強烈に密着した世界だ、と考えています。
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続きは「原子力文化」2005年9月号に掲載しています。
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