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カラフル・ピュアガール
2001年3月号

Keyシナリオスタッフ
ロングインタビュー





『AlR』という作品の動機
「癒し」と「感動」の違い
『AIR』の立脚点とは?
美少女ゲームとしての『AIR』
音楽と骨格
夏化計画
表現形態としての「AVG」
「AVG」の可能性
『AIR』を構成する要素たち
「家族」という名の演劇
過酷なる可能性と記憶
いとおしくも哀しい人々
「えいえんのせかい」と「AIR」
1000年を繋ぐ物語
父親になれなかった男の子たち
新しい盟約
連なる記憶と不可視の力
予想外の内幕
「女の子を描く」ということ
「美少女ゲーム」の本質
意図的な空白
麻枝氏の語る「麻枝 准」
言霊とリズム
涼元氏に聞く『Kanon』とは?
麻枝シナリオの構造
『AIR』を巡る言葉
『AIR』が生まれた理由
『AIR』を超える作品とは?
「世界卵」としての可能性






『AlR』という作品の動機

──今回は、主に『AlR』という作品ができたバックボーンを聞こう、という感じで進めたいのですが、そもそも『AlR』の企画の発端というのは、どんな感じだったのでしょう?

麻枝 とりあえす、前堤としては『Kanon』とは違うものです。『Kanon』は、Keyのデビュー作でありながらも、今までの僕らが作ってきたものの延長線上にあったので。Keyの姿勢として、『Kanon』と異なる方向性というか、桃戦的なものを堤示したかった、というのはあります。その辺で、ユーザーの反応を見ながら、方向性を絞っていった感じですね。

──以前、某誌のインタビューで、「次はやりたい世界をやる」といった感じのコメントをされでいましたが、やはりその辺も意識されていたと?

麻枝 ええ、確かにそんなことを言ってましたね。何というか・・・・・・自分の中にいくつか、書きたい世界のイメージというのがあって、その中の一つが『AIR』の原型となってます。ただ、タイミンクというのがあって、『Kanon』の次に出すならこれだ、というのを決めるのは、かなり慎重に考えてました。

涼元 でも、最初に僕が見せてもらった時は、イメージが断片的にあっただけだったんで、「本当にこれ、できるのか?」というのは思いました(笑)。で、そのままだと物語としては難しいので、技葉を落としたり、逆にイメージを繋げたりして、徐々に今の形になっていったという感じです。

──すると、最初は断片的なイメージだけが散在していたような感じだったのですか?

涼元 いや、個々のイメージ自体はかなり完成してはいたんです。ただ、イメージというパーツ同士を繋げる解決策がなかったんですね。

──今回、シナリオチームは3人ということですが、文章の分担はどのように分けていましたか?

麻枝 基本的には3人なんですが、シナリオアシスタントという形で途中で4人ぼど加わってもらいました。ただ、何処を誰という感じで、明確に分けているわけではないです。

──とすると、各人の意志というよりは、Keyという総体として、全体のイメージを作り上げていったという感じですか?

麻枝 細部の言い回しなどに若干の癖はあると思いますが、基本的には、Key全体としての意志というか、シナリオチームの結晶として作られた、と考えていただければ、という感じですね。

──美少女ゲームに於いて、ヒロインが複数登場する場合は平等に扱うパターンが多く、『Kanon』もその流れで構成されていましたが、『AlR』でそのパターンを崩してきたのは何故ですか?

麻枝 基本的にゲーム全体の流れを見せたいというのがあったのですが、同時に、恋愛AVGとしても満足のいく内容にしたいというか、より多くのユーザーの方に満足して欲しいというのもあったんです。それで、複数キャラになったんですが、さすがに全部のキャラで同じ分量は書けなかったんですね(苦笑)。


「癒し」と「感動」の違い

──あと、僕は別にそうは思わなかったんですが、巷で『AlR』は「癒し系」と呼ばれることが多いらしいんですが・・・・・・それについてはどうですか?

麻枝 いやー、それホントですか?(笑)

涼元 あれで癒されるんですか?(苦笑)少なくとも、『AlR』は絶対違うと思いますよ〜。

麻枝 うーん、おそらくは、Keyのパブリックイメージというか、『Kanon』があったんでそう思われるのかもしれないですが、『AIR』をプレイしたら「癒し系」とは絶対思わないと思いますよ。少なくとも、スタッフの誰一人として「癒し系」とは思ってないです。あと、『Kanon』にしても、作っている側としては、そういう意識はまったくないんですよね。

涼元 逆に言うと、「癒し系」って何ですかね?例えば、僕のイメージだと『フォークソング』みたいな、田舎を舞台にしてほのぼのと進む物語、という感じなんです。ところが『Kanon』だと一回、「ガーン」って落とすじゃないですか(笑)。その段階で「癒し」とは、ほど遠い気がするんですよ。

──そもそも、何で「癒し系」なんて言葉が出てきたんだろう、というのがあって、以前も連載の中で取り上げたんですが、その時は、この手の言葉にありがちで(苦笑)、特に実体のないカテゴライズというか、敢えて言うなら「偽物の原風景」を描く作品を指した言葉、という感じだったんですが、割と普遍的に使われるようになってますね。


『AIR』の立脚点とは?

──でも、『ToHeart』のマルチシナリオなどが、その括りに入れられたりもしているんで、そうなってくると、また話がややこしくなってくるんですが・・・・・・。

涼元 むしろ、まんがの方から出てきたような印象があるんですが。大石まさるや山崎浩……あと、『ヨコハマ買い出し紀行』でしたっけ?

──そうですね。虚構の中にある田舎の生活を淡々と描いていくタイプの作品というか……。

麻枝 でも、「感動系」と呼ばれるのは別にいいと思ってるんですよ。むしろ、一つのジャンルとして確立したような印象があるんで。元々、単に「18禁AVG」と言われるのは、ちょっと違うな、と思っていましたし。あと、「泣きゲー」とか、色々と呼称が氾濫していたのが「感動系」に淘汰されてきたのは良いんじゃないかと。それだったら、僕も使ってますし。わざわざ増やす必要はないですよ(笑)。

涼元 「感動系」の中の一ジャンルとしての「癒し系」だったら、あるのかもしれませんが、それでもKeyのゲームは違うと思いますよ。

──なるほど……。


美少女ゲームとしての『AIR』

──あと……どうも、表現的な意味で、セックスシーンでの肉体性を極カ抑制しているように見えるというか、……極端に言うと、生殖以外の意味性を排除しでいるようにも見えます。その理由というか、そうすることで何を目指しているのでしょうか?

涼元 ああ、僕はむしろ、それは麻技さんに聞きたいですね(笑)。何であんなに淡泊なの?

麻枝 え、その辺は涼元さんが先に格好良く答えてくださいよ(苦笑)。

涼元 僕が『Kanon』をやった時に思ったのは、何でこの人たちはモジュール構造でえっちシーンを作っているんだ〜、ということだったんで、佳乃とSUMMER編のえっちシーンは、絶対に取り外せないようにしたんですよ(笑)。

──確かに、佳乃とSUMMER編は不可避ですが……でも、他は回避しようと思えば回避できますよね?

涼元 できますね。美凪に至っては……(笑)。

──でも、逆に言うと、美凪のバッドENDルートだけが、一般的な美少女ゲーム然としたえっちシーンというか、唯一女性を隷属させる方向性としての描写だったような気がします。

涼元 確かに、評判が良いんですよね。あのルート。

──この前、参考になるかな、と思って、即売会で『AIR』の同人誌シーンが盛り上がっているかどうかチェックしていたんですが、同人誌の題材としては美凪のBADエンドというのは扱いやすいらしくて、それなりの数がありました。まだ、発売二ヶ月前後というのもあるとは思いますが……で、麻枝さんは何故、淡泊なのでしょうか?(笑)

麻枝 うっ。いや、はっきり言ってしまえば、そうしか書けないというか、何というか……欠点でしかないですよね。意識として抑えてるんじゃなくて、困ったことに、僕の最大限がアレなんです。

涼元 え、じゃあ本人としてはもっとエロエロにしたいんですか?(笑)

──でも、『MOON.』の頃と比べても、えっちシーンは減ってますよね?

麻枝 『MOON.』は企画の時点でそういう設定だったので、いかに両立できるかでやっていたところがあったんですが、『AIR』の場合は企画段階で既に抜け落ちてるというか……。無理に入れなくてもユーザーの方に買っていただけるというのがあるんですね……昔は無理にでも入れなければ売れなかったんで(苦笑)。

涼元 『AIR』の場合、結局、やりたいことが、まず『家族』という単位があって……という感じなんで、だとすると……もしかして、家族になる前の段階には興味がないんですか?

麻枝 興味ないですね(笑)。

──だから、『AIR』に於けるセックスのほとんどが「生殖行為」という意味に純化されてしまっているんですか……。

麻枝 いや、そういう話を書けば、そういうシーンも書いていくとは思うんですが、『AIR』や『Kanon』では、そういう方向性に話が行きませんでしたからね。

──あと、『AIR』は「美少女ゲーム」というものに対して、メタ的な意匠が強く感じられますが、商売的なところは抜きとして、パソコンゲームというフィールドで作り続けている理由は何でしょうか?

麻枝 まず、表現上での制約が少ないということがあります。あと、パソコンゲームの場合、開発チームが必要最小限の規模で作れるというのが、心地よいんですよ。規模が大きくなると、ゲーム製作とは関係ないところで煩わしいことが増えますし、規模が小さいということで、隅々まで目を配れるというのがあるんで。


音楽と骨格

──これは『AlR』とは無関係な質問ですが、新旧は関係なく、印象に残っているゲーム以外の作品……ドラマ・小説・音楽などがありましたら、教えてください。

麻枝 これ、聞かれるたびに困るんですよね。映画も見ないし、小説も読まないし、興味があるのは音楽だけですんで。

──それも、この前のコンプティークのコラムで書いてましたしね。ところが、紹介されていたCDを探してみるとなかなか見つからないというか……そもそも、どこの棚にあるのかがまずわからない(笑)。

麻枝 一応、ジャンル分けはしたんですけどねー。いつそ、ジャケ写真入りで紹介してくれませんか?(笑)。

──了解しました(笑)。

麻枝 まあ、都市圏じやないと手に入らないものばっかりなのは確かなんですが、あの中で一番思い入れがあるというか、一番影響を受けていてゲームに反映されているのは、エピックハウスというジャンルなんですよ。僕のゲーム作りはすへてそこから始まっていると言ってもいいです。ジャケットを見ても、海がガーンと広がっていたりも空がガーンと広がっていたり、とにかく壮大な世界観を持った音楽だったりするんですが、ところが日本だと、そういったジャンルは全部テクノという括りになってしまうというか……。

──アンビエントハウスとかになっちやいますね。

麻枝 ええ。しかも、テクノという枠粗みだけじゃないですか。でも、日本に於けるテクノって、無機質で攻撃的な音楽ばかりが幅を利かせていて、センシティヴなものは立場が弱いというか……最近、やっと認知されるようになりましたけどね。

──確かに、日本ではメジャーではないですね……。

麻枝 だから、Keyのユーザーの方たちにも教えてあげたいと思って、個人的に機会があるたびに書いているんですけど……。とにかく、音楽を聞きながら、次はこの世界観だ!って感じで作っているんで、企画がスタートするとそれに合ったCDを探して買い集めて……そして、書きたい場面に合うような音楽を聴きながら、バーッと書いていくんですよ。で、乗ってくる音楽がないと書くどころじやなくて、延々とCDを探しているんですよ。


夏化計画

──なるほど……では、涼元さんの方はどうですか?

涼元 僕の方は……元々、本を読まない小説家だったんで……。

麻枝 でも、僕にいつも、いろんなものを勧めるじやないですか(笑)。

涼元 確かに、とてつもなく古い本をオークションで落としたりはしてますけど……。あ。僕、ホームページを持ってまして、そこで例えば「『AIR』のラストがさっぱりわからないんですが」と聞かれたら、自分なりに一冊挙げようと思っていた本がありまして、もう載せてしまったんですが、リチャード・バック……えーと、『かもめのジョナサン』の作家なんですけど、その人の『イリュージョン』という小説ですね。ちようど、『AIR』を出した時の、Keyの状況とだぶってるところもあるし、ちよっとかっこいいことを言いたい時には必ず引用する僕の座右の書なんです(笑)。

──なるほど……。

涼元 あと音楽については麻枝さんとちょっと被るんですが、ウイリアム・アッカーマンという……まあ、ニューエイジミュージックの部類に入るんですがアコースティック ギターでアメリカ風の田舎の風景というのを表現するアーティストで、『AIR』の作業の時もかなり聴いてました。

麻枝 二月あたりの、制作が一番苦しかった時期には、これで救われたというか。夏の日常というのが……ほら、冬ですから……まったく思いつかなくて、なので「夏化計画」ってのを発動したんですよ(笑)。シナリオチーム全員で夏っぽいCDを集めて。

涼元 気分だけでも夏にしようって(笑)。田舎っぽい夏の日差しとか、アッカーマンの曲のイメージから膨らませていくんです。


表現形態としての「AVG」

──また『AlR』の話に戻るんですが、例えば、『スローターハウス』のような……あと、ガルシア=マルケスといった、幻想小説風の魔術的リアリズムと視覚的表現や言語表現の複合形としてのAVGというか、様々な表現形態がクロスオーパーしているというか、日本では極めて珍しい形の物語に見えますが、そういうところは意識していましたか?

麻枝 僕はその辺、よくわからないんですけど(笑)。そこは涼元さんにひとつ。

涼元 あ〜(笑)。「マジック・リアリズム」ですね。でも、そう受け取っていただけたのなら、成功したな、って感じですね。やっぱり、作る時に考えていたのは、こういった形で映象や音を融合していったら……もう、これって普通のAVGの範疇ではなくて、もっと突き抜けたところまで行ってしまうんだろうな、ということだったんですよ。ですんで、本当にイメージとしてそういう風に捉えられたのなら、本当に光栄なんですけど……でも、どうなんだろうなあ。そこまでは……まだいってないと思いますよ(笑)。

──うーん。ただ、『AlR』をプレイしていて強く思ったのは、従来のゲームの作り方とは根本的に異なるというか、「ゲーム性」が、ゲーム作りの前提として存在している、普通のゲームクリエイターの考え方では作られていないというか、そんな感じがします。

涼元 ですね。確実にそうだと思います。むしろ、表現したいことが先にあって、それを効果的に表現できるのが「ゲーム」というか、明らかに物語優先な考え方で麻枝さんなんかはやっているんで。だから、実際に作品ができあがると選択肢が極端に少なくて、その分、シナリオでガンガンに描写するという形態になるんですね。

麻枝 逆に言うと、それが反省点でもあるんですよ。そうした形態を採ったことで、浮かび上がる欠点というのもあって……。

涼元 やはり、ユーザーさんの中には「こんなのはゲームじゃない」とか「選択肢が無いので退屈だ」という意見もあるわけですし……。

──ただ……ふと思ったんですが、コンシューマーにしても、美少女ゲームにしても、特にここ数年、表現的に行き詰っているという印象があるんです。


「AVG」の可能性

──どうしても、「ゲーム性が先にありき」というか……ゲーム性という根幹に、シナリオや視覚的な表現を継ぎ足しているという形で、今までのゲームは作られていたと思うんです。

麻枝 そうですね。

──その意味では、FFシリーズなどは一つの達成なのでしょうけど、逆に根幹となっている「ゲーム性」という枠粗みというか、幻想に縛られてしまっていて、その先を提示できなかったというか……もう一歩を踏み出すことがなかなかできなかったと思うんです。

麻枝 ええ。でも、そうした「非ゲーム」な方向性ばかりを突き詰めていくのか、というと、別にそうではないんです。だから、この……シナリオ重視の方向性は『AIR』で打ち止めですね。

──そうなんですか。でも、物語表現優先という発想で作られた作品というのは、コンシユーマーの場合だと……僕が見た限りでは『弟切草』や『街』のあたりで……言葉は悪いんですが、停滞してしまっているように見えていたんで、予想外なところから暴走したダンプカーが突っ込んできたぞ、という感じで、『Kanon』や『AIR』はショックでしたよ(笑)。

涼元 ただ、これが本当に抜け道なのかというと、そうではない気もするんです。

麻枝 ここから広がりはないですよね。今の段階では。

涼元 このままシナリオ重視で突き詰めていくと、多分、紙芝居というか……出来の悪いアニメーションになってしまうと思うんですよ。だから、新たなジャンルが生まれるという感じはしないし、むしろ、この方向性での袋小路というのが見えてきた印象があります。僕個人としては……。

麻枝 エロゲーAVGの墓場が見えたな、というか。

──また、別の切り口を見つける必要が出てきたわけですか。

涼元 おそらく、ゲーム性への回帰だと思うんですけど……ただ、元に戻ってもしょうがないというか、ユーザーを納得させるためには、もう感情表現といったものをなおざりにすることは許されないんですよ。だから、やっぱり「融合」という形で模索していくことになると思うんですが……。

──両者のバランスを取りながら、到達点を見つけていく……といった感じでしょうかね……。

麻枝 おそらく、システム的なところで新しいものが出てきて、それにシナリオ面で今の延長線上にあるものを当てはめれば、また新しい課題が出てくるとは思うんですけど。

涼元 それで、その課題を高次なレベルでクリアできるならば、かなりの表親ができるかも知れませんね。でも、その手応えは、『AIR』で得ることができましたから。

──だとすると、例えば、深層意識までも表現する視覚的表現や言語表現の融合としてのAVGは、願望という意味も含めて、今後、どのような方向へ進化すると思いますか?

涼元 願望でも良いのでしたら、これは僕個人の願望なのですけど……。本当にゲームと現実の境目がわからなくなるというのが、理想の形態なんですね。ゲームはゲームと言われるのがシャクというか、モニターの前にいながら、自分は今、何処にいるんだ?と思わせてしまうような、強いものを作れたらというのはありますね。


『AIR』を構成する要素たち

──例えば、「えいえんのせかい」や「あゆの奇跡」を、イメージ的な転回点というか、媒介として使っていた『ONE』や『Kanon』では、観念の世界と現実世界は、比較的厳然と分けられていたと思うのですが、今回は「輪廻転生」という……まあ、あくまで方便だとは思うんですが、その方便を用いたことで、境界線を曖昧にしたのはなぜですか?

涼元 「輪廻転生」は、むしろ、1000年前の物語世界と繋げる理由というか、各シナリオの関係を密接に繋げるため、というのがあるんで……。

麻枝 でも、はっきり言って「輪廻転生」とは言って欲しくないですけどね。輪廻転生という解釈には、できるだけならないようにしたかったというか、そういう話とは違うぞ、というのをやりたかったんで。

涼元 むしろ輪廻転生ものへのアンチテーゼという感じで考えていたんですよ。「願い」は残るけども……という感じで。

──なるほど。あと、ヒロイン3人とも家族を気遣いながら、どの家族も円満な家庭とは程遠いのですが、逆に「円満な家庭」のイメージがあるとしたら、どんな感じでしょう?

涼元 自分が平凡であるとか、幸せであるとか、そういったところへ思いが行かないくらいに平凡な家庭、かな。

麻枝 小さな悩みがすっごく大きな悩みに思えるような、雰囲気でしようかね。

──では、その辺と関連して、『Kanon』もそうだったんですが、『AlR』ではあらかじめ約束された家族はことごとく崩壊したり、欠落を抱えたりしていますね。


「家族」という名の演劇

──そして登場人物が自覚的に本来の役割とは別の役割を演じているというか、流れ者が寄り集まって家族ごっこをしている……という形が、繰り返し描かれていますが、その辺で……作品内部での演劇性みたいなイメージというのは、書き手の側としては意識していますか?

麻枝 うーん……やっぱり欠けたものがある、というところからでしか話を作れない、というのがあって、最終的に満たされて終わるのならば、最初に欠けているというのは、物語上の必然なんですよね。

涼元 ただ、SUMMER編で、神奈を中心に家族ごっこをしている風景というのは、割と意図的にそうしたフシはあります。『AIR』のテーマの一つとして、血が繋がっていなくても家族だろ、ってのと、血が繋がっているからこそ家族だろ、というのが、せめぎ合っていて……同時に、その両方を立てたいというのがあったんですよ。だから、SUMMER編でも、ミクロなレべルでは前者なんだけども、1000年間を血筋で繋いで、最終的に一人の……というマクロな視点では、後者だったりするんです。


過酷なる可能性と記憶

──あと、これは読者からの質問なんですが、DREAM編でプレイヤーが繰り返しゲームをプレイするような作りだったのは、閉じた世界を脱出するために試行錯誤する「過酷な日々」として考えていたからですか?

麻枝 いや、そこまでは考えてないですね(笑)。

涼元 「可能性を提示する」という意味で、初めに三つの物語がある訳ですよね。それは、往人には神奈を助けるという使命の他に、自分自身の幸せや、連れ添いの幸せを追求するような分岐もある訳で、あくまでそれらをすべてを提示した上で、本筋へ……という感じになれば、と思っていたんです。だから、同時系列ですべての可能性を……というか、パラレルワールド的な構造なのかな……、まあ、この辺は様々に解釈してもらってOK、という感しなんですが。

──確かに。ゲームを進めていくと、記憶と存在が混乱した感じになるというか、一種のタイムパラドックスか発生しているように思えるのですが、同時に時系列による因果を敢えて軽視しているような印象もあります。その辺は、どう捉えてますか?

涼元 それは……初め、企画を聞いた段階では、「普通、そんなことはしないだろ」と思ったところなんですが……(苦笑)。

麻枝 いや、1000年の物語の中で特例を作りたかったんですよ。歴史の中で様々な要因が積み重なった結果として、1000年目に例外的な現象が起こった、という感じで。延々と同じ運命を繰り返している中で、主人公が予定外の行動を取ったから、まったく特例なことが起きたというのを描くためには、予定通りの運命というのをあらかじめ見せておく必要がある訳ですね。

──だから、様々な視点から「予定通り」だった運命を提示する必要があった、ということですか?

麻枝 そうですね。ほんの少しのズレで例外が起きた、というのを見せたかったんで。

涼元 あと、羽根というのは、『AIR』の世界に於いては「記憶」そのものなんですよ。ところが、羽根というのは、少し壊れてしまっているんです。そして、羽根が舞って、地上に分散した形で遺されたことで、時系列に歪みが全じたり、時間が円環構造になってしまったり、という状況を作り出しているんですね。


いとおしくも哀しい人々

──『Kanon』でも、真琴と美汐、舞と佐佑理の関係がありましたが、今回も、観鈴と晴子、美凪とみちる……といった感じで、それぞれに鏡像の関係となる女性が用意されていて、一方が現実と非現実の境界線上にあるのは、作劇上、何か理由というか、その辺にイメージ的な繋がりなどは……。

麻枝 作品に微妙な非現実性を持たせたいので……だとすると、この配置が一番描きやすい、というのはあります。逆に言うと、これも作劇上での癖みたいなものですね。

──もう一つ、メタファレベルの質問なんですが、翼人は宇宙人や吸血鬼などと同じく、特権的な種族として描かれている割には、ネオテニー的ではないというか、神奈の物語では母親との葛藤という、むしろ人間的な日常を描いていますが、その理由とは何でしょうか?

涼元 最初の母子の会話などで、その辺は端的に現れていると思うんですが、種族とかそういったものでは、母が子に対して願うことに違いが出るものではない、と考えているんですよ。だから、意図的に翼人をかなり人間くさく描いた、というのはあります。

麻枝 翼人は、母から子へと記憶を繋いでいく種族としてのイメージを強調するように説定していたんで、尚更、そういった印象があるのかも知れません。

──例えば、この種の物語として、とっさに思いつくのは、『ポーの一族』の、エドガーとメリーベルだったりするんですが、それらとも微妙に描かれ方が異なりますね。

涼元 翼人というのを、あまり超越的な存在にはしたくなかったんですよ。

麻枝 SFにしても、伝奇ものにしても……どんな非日常的な説定を入れても、最終的には、ありふれた日常や家族というところに収束させたい、というのがあるんで。

──逆に言うと、日常へ向かっていく話だからこそ、仕掛けを大きくするというか、想像カを飛躍させていくんですか?

涼元 翼人のように超然とした存在でも、願うところは同じなんだよ、ということですね。


「えいえんのせかい」と「AIR」

──あと、今回……無カ感や悔しさを強調しているというか、キャラクターに対して、与えられた役割以上のことを許さないという雰囲気があります。枠外へ飛び出すのではなく、枠内でそれぞれが最善を尽くすという感じというか、他人を自分の運命に巻き込むことで、その人自身の枠を飛び超えてしまうことを良しとしない、という意志みたいなものが、全体を通して感じられます。

涼元 確かに、最初に決まっている運命の枠内でどれだけ密度を高められるか、というテーマになっているんで、そういう意味では奇跡が起こって枠を飛び越えられるとい うことは一切ないですね。

麻枝 ぎりぎりのバトンパスで繋いでいく、という感じですか(笑)。登場人物すべてがぎりぎりで踏みとどまっていた、というか、頑張り続けたんだよ、ということでしょうか。そして、後から振り返った時に、どれだけ凄いことをしたか……というか、頑張っていたんだよ、ということを理解するというか……。

──お互いが最善を尽くして、そのぶつかり合いから解決策を見いだしていく、という感じですか。今回、その点が『Kanon』とはもっとも異なるところだと思うんですけど。

涼元 枠というのも……生きていれば、必ず死ぬわけじゃないですか。でも、一番長く生きた人が幸せというわけでもないですし、自分が幸せだと思ったら、それがもう幸せなんだ、というしかないと思うんですけど……理解されにくい部分ではありますね。「観鈴は幸せだった。でも、もっと幸せになれたはずだ」という考え方になっちゃう。

──確かに、微妙ですね……一瞬に人生を濃縮していくという発想は。普通の人はどうしても「えいえんのせかい」を願ってしまいますからね……。

涼元 そうではないよね、というところで作っているんですが……。だって、みんな「えいえんのせかい」なんてないってことを知っているわけじゃないですか。

──それもやっぱり、永遠を願ってしまうんですよ(苦笑)。

麻枝 ゲームの中ぐらい、永遠があってもいいだろうってのはありますよね。そういう意味での日常性というか、現実感みたいなのを求めているというか。

涼元 「幸せな日常が延々と続くのが永遠だ」という風に受け取られがちですよね。

──それはそれで辛いと思うんですけどね。永遠に幸せじゃ、幸せの有り難みがわからないだろ、っていうか。ただ、ユーザーとしては、『ビューティフル・ドリーマー』じゃないですけど、「永遠に続く学園祭」みたいなものをやっぱり求めてしまいますからね。どうしても。

涼元 『Kanon』はその辺、上手くやってますよね。「王子様とお姫様は末永く幸せに暮らしました。おしまい」という感じで。でも、その後の物語というのがあるわけじゃないですか、やっぱり、いつかは別れがやってくるものですし。それで、『AlR』はそこまで行ってしまおう、と思ったんですけど……。

──そういう意味では、長い物語ですよね。


1000年を繋ぐ物語

──あと、長いと言えば今回、サブタイトルか“The 1000th Summer”と銘打たれていて、実際に千年を繋ぐ物語としで描かれているのですか、そこで日本的な文化というか、歴史観を前面に出した理由がありましたら教えてください。

麻枝 これはそのまま言ってしまうと身も蓋もないんですけどね(笑)。なので、涼元さん、格好良く言ってください。

涼元 初めに「日本の夏」というのを強烈にイメージしていたんですよ。DREAM編で出てくる田舎の風景は、親戸内海沿いの……というのは意識して描いてましたね。あと、「日本」という部分を強調しておかないと、1000年の間に断絶が生じてしまうんで。日本に住んでいる以上、原体験というのはやはり、夏祭りとか……その辺だと思いますし、だからこそ、1000年前にも同じものがあったんだよ、というのを前提として描きたかったんですね。ただ、時代考証的にあの祭はどうなのか、というのはありますが(苦笑)。

──なるほど。じゃあ、今回、やり残したことや、入れてみたかったエピソードはありますか?

涼元 あります〜(苦笑)。もっと時間があれば……というのが。できれば、翼人の持つ壮大な歴史観というのを、物語にきちんと盛り込みたかったんですよ。例えば、遡っていく夢というのを、もっと昔……それこそ一万年前、十万年前、って感じで、段階的に見せたかったというのもありましたし。

──白穂さんのエピソードとかもそんな感しだったんですか?

涼元 ええ。ただ、あれは神奈の物語より後の話なんですが。それと、DREAMの三つのシナリオで足並みが揃っていないというか、美凪が突出気味なところはありますね。基本的にはスロースタートで少しずつ盛り上げていくように考えていて、その点では上手く行ったつもりなんですが、DREAM編内部のバランスで崩れてしまっているのが……最初だけちょっと我慢していただければ、あとは勢いでグイグイと読み進められると思うんですが。

麻枝 でも、やるべきことはやった感じもしますけどね。


父親になれなかった男の子たち

──『Kanon』でも父親の存在は希薄でしたが、今回、柳也は父親としての結果を見届けずに亡くなりましたし、他にも父親であることから逃げた父親というか、父親になり損ねた男性というものが『Kanon』に比べて、かなり具体的に描かれているんですが、何か理由があるのでしょうか?

麻枝 うーん、ないですね。

──ないですか。

涼元 あ、でも、父親の立ちキャラが入ったのは結構、革新的ですよね。

麻枝 あー、あれがなかったら、おそらく、そのこと自体に気づいてないですからね。でも、他のゲームだったら入れているはずの立ちキャラを今までうちは入れてなかっただけで(笑)。

涼元 でも、『Kanon』の時も、父性がえらく希薄だって言われていたじゃないですか(笑)。やっぱり、父親を描きたくないんですか?

麻枝 そんなこと言われても……それは身も蓋もないですよ。だって、片親しか出さない設定で、秋子さんがオヤジやったらイヤじやないですか(笑)。単純に美少女ゲームでは出せる女性キャラがどうしても限られているわけで、父親と母親のどちらかだったら、母親を優先して出そう、ということですね。

──美少女ゲームではよくあるパターンなんですが、両方いないという設定にはならないんですか?

涼元 そうなると今度はどうやって暮らしているんだ、という疑問が出てきますからね。

麻枝 おそらく、恋愛に始終させるために……なんでしょうけど、そういうパターンは多いですね。ただ、うちの場合は「家族」に話を持っていきたいというのがあるんで。だから、片方だけ……というか、両方いると満ち足りてしまって、話が成り立たないんですね。


新しい盟約

──聖と桂乃の関係性は潜在的に緊張を帯びたものとして描かれていますが、ライティングの上で気を使われた点はありますか?

涼元 この二人は、このままでも幸せに見えてしまう危険性を孕んでいたので、いつかは破綻が来るであろうことを示唆しなければならなかったんです。例えば、往人が扉越しに二人の会話を聞くところとか、想像カを喚起させていく部分で、特に気を使いました。聖が異常なほどに佳乃のことを思っている、という感じで、性格付けもかなり極端にしていますし。

──あと、他の二人になくて、佳乃にだけあったものとは何でしょうか?

涼元 それは難問ですね……。

麻枝 並列というか、三つある物語の中で、あくまで可能性の一つなんですけど……。

涼元 どれもがそれぞれに幸せであり、優劣はないんです。だから、旅を止められたことがトゥルーではない、と。ただ、この質問に答えるならば、佳乃だけが往人に対して「ここに留まって」と明言しているんですね。それは、他の登場人物……過去編に遡っても、誰もが言いたかったのだけど、結局、言うことができなかった台詞なんですよ。

──確かに、あのシーンには「古い盟約を破棄して、新しい盟約が発生する」といった印象がありました。そういう意味では、佳乃もまた、『AIR』の流れの中にあるんですね。

涼元 ええ、だからこそ、あの話も『AIR』にとって必要不可欠な工ピソードなんですよ。

──なるほど。では、息抜きというか、答えのわかり切っている質問なんですけど……ポテトは何者ですか?(笑)

麻枝 それはもう、秋子さんのジャムと同じですね。「秘密です」と(笑)。


連なる記憶と不可視の力

──美凪にとって、みちるはどういう存在なのでしょう。また、薄々感づいていながら、家族ごっこをしていた理由とは何なのでしょうか?

涼元 そこに停滞していたかったんでしょうね。一歩を踏み出すことが怖かったから……というか、ちよっとした緊張状態があったからこそ、そこに逃げ込んでいたのだけど、往人という異なる要素が介入してきたことで、新たな変化が生まれていく……これは、すべてのシナリオに共通することなんですが。

──だとすると、みちるの人格というものは、何処から来たものだと考えていますか?

涼元 設定としては……実は、佳乃の憑依状態と同じなんですが、これらは羽根の仕様なんですね。ただ、羽根の壊れ方にも違いがあって、佳乃の場合は記憶装置としての羽根なんです。ところが、再生機能が壊れていて、何かの拍子で佳乃という存在を通して、勝手に昔の記憶が再生されてしまう、と。ただ、美凪の場合は、羽根そのものの構造に関わってくる問題でして。つまり、羽根の中というのは、一枚で人生をすべて内包してしまうほどの記憶容量を持っているんですが、壊れているから、他の人の記憶まで混ざってしまい、あるはずのない記憶というか……願望まで具現化してしまう、と。そして、みちるという存在に投影されている、と。

──願いが存在していて、それと対になる意志が具現化しているというか……えーと、確か、『MOON.』だと思うんですけど、「不可視のカ」云々の記述がありましたよね?ちょっとうろ覚えなんですが、「お前が日常を願うことが、日常を防げる不可視のカを生み出すのだ……」とか、そんな感じだったと思うんですが。

麻枝 うわ、凄いこと書いてたんだなあ。さすがにもう忘れましたよ(笑)。

──原点というか……剥き出しというか(笑)。で、羽根が不可視のカを発動させる鍵になっている……とか、そんな感じなのでしょうか?

涼元 そうですね。あと、「夢」という言い方に、「記憶」と「願い」の両義性を持たせているのがありまして……羽根に込められた記憶に、別の願いが上書きされることで、現象が起きる、という感じで考えていました。


予想外の内幕

──また、ベタ質問なんですけど、晴子さんの仕事は何ですか?(笑)

麻枝 ああ……一応、僕の中ではあるんですけどね(笑)。

涼元 言ってくださいよ(笑)。

麻枝 あれは、まあ……○○○ですね。

(一同大爆笑)

──うわー、てっきり水商売だと思ってた(笑)。
(筆者にとっては笑い事ではないというか、シャレにならない職業)

麻枝 え、水商売だと思ってました?

涼元 だって、晴子さん、自分でそれっぽいこと言ってるじゃないですか(笑)。

麻枝 だから、自分で言ってギャグにしているからこそ、逆にそれはないんですよ(笑)。

──水商売でなければ、保険外交員のような、地味な仕事をしているかと思っていたんですが。だいたい、それだったら。別にゲーム会社の社員でもいいじゃないですか(笑)。

麻枝 いや、あんな乱れた生活をしているのは○○○しかいないじゃないですか(笑)。

──それはひどい(笑)。確かにその通りではあるんですけど。でも、ああいう田舎だと、やっぱり職種が限られてくるじゃないですか。○○○だと、もっと都会の職業という印象がありますよ。

麻枝 そこは近所の都会までバイクを飛ばして……。

涼元 それだったら、最初から往人をバイクで送っていけばいいじゃないですか(笑)。


「女の子を描く」ということ

──そういえば、男性の書き手が少女の自意識というか、少女自身の内面に踏み込むようなモノローグを書く際に、敢えて意識しているところはありますか?

涼元 美凪は割とそうだったかも知れませんけど、他はあんまりないですよね?

麻枝 『AIR』では、そういうのはできるだけやらないようにしていたというのがありましたから。全部、会話上で表現できるように意識していたというか。モノローグでやれれば、終盤とかは楽だったんですげどね。

──あ……聞き方が悪かったのかも知れませんが、例えば、三人称の形態でも、二人の女の子を会話させたりする時に、同時に頭の中で動かしているわけですが、その場合にどのようにしで動かしていくか……というところなんですが。

麻枝 でも、そこまで書いていったら、キャラクターは勝手に動いていきますからねえ。とにかくキャラさえ動いてくれれば、というか。

涼元 あ、でも、ちょっと話がズレるんですが、僕ば昔、少女向け小説……コバルト文庫を書いてまして、その頃は、出てくる女の子に、女の子の読者が違和感を持たないように、というところに注意を払っていたんです。でも、美少女ゲームだと、その点はあんまり考えなくていいんですね(笑)。逆に、掛け合いのシーンでの会話などでは、男の子の読者にとって気持ちいい会話、という感じになりますから。

麻枝 ああいった掛け合いは男だから書けるんですね(笑)。女性だと、むしろ書きにくいでしょうし。

──そうだと思うんですよ。昔、美少女まんが誌の編集をやっていた頃に、男性が持つ少女幻想を上手くピンポイント爆撃できる作家さんは、男性作家の方が多かったんで、やはり、男性が抱いている少女幻想……「女の子の感情」というのは、現実の少女とは別物の価値観であって、胎内回帰願望とかに繋がってくるものだと思うんですよ。


「美少女ゲーム」の本質

──ところが、これが女性作家の場合だと、その……女性の生理的な部分と、計算して描く部分が紙一重になるんで、その辺の調整が難しかった記憶がありました。まあ、女性の生の感情描写を好む編集者は結構いるんですけど、そういう作品に限って、サブカルチャー的に作品が評価されても、肝心な売れ行きはまったくダメだったりするんで……。

涼元 でも、やっぱり、一般の読者レベルになると、そういった女の子の……生の部分は突きつけられると厳しいですよね。

──厳しいですね。極端なことを言ってしまえば、女の子の生理や経血を見て興奮する男は、やっぱり少数派だと思いますよ。美少女ゲームの場合も、基本的には男性向けのメディアである以上、そういう女の子の生の感情を、男の子視点のフィルタを通して、男の子の好む「女の子の感情」ヘ変換していく……という感じになると思うんですが。

涼元 ただ、完全に男の子向けに特化され、加工された「女の子の感情」というのも、これから行き詰まっていくんじゃないでしょうか。そういう意味では『Kanon』は最高峰だったようにも思えますし……。おそらく、これからは女性が見ても納得できるキャラクター像を作っていかなければならないでしょうね。キャラ萌え的には厳しいかも知れませんが。

麻枝 でも……昔から、僕の作ったキャラはそうなんですよね(笑)。

涼元 あ、そうかも知れないですね。

麻枝 うちのゲームを女の子がプレイすると、僕の作ったキャラは受けがいいらしいんですよ(笑)。逆に言うと、男の子的にはイマイチ萌えられないらしいんですけど。

──そういえば、『Kanon』をプレイした知り 合いの女の子とかと話していると、麻枝さんのキャラ……舞と真琴は許せるけど、という意見は聞きますね。


意図的な空白

──あと、これもベタ質問なんですが、観鈴の出生のいきさつを教えてください。

麻枝 えーと、それは考えたくなかったんで、ボカしていたところなんですが(笑)。

涼元 でも、一応、何かあるでしょう?

麻枝 いや、何もないですよ、マジで(苦笑)。ゲーム中に描かれている以上の情報はないです。むしろ、その辺は自由に想像してもらえれば……って、考えているぐらいなんで。あと、晴子さんたちの学生時代の工ピソードみたいなのは、あったら面白いなあ、とは考えてましたね。具体的にどう、というのは考えてなかったですが。


麻枝氏の語る「麻枝 准」

──それから、これは麻技さんに質問なんですけど、小説やまんがを読まないのに、何故にこの仕事を目指されたんですか?

麻枝 いや、それは、音楽で業界に入ろうと思ったのに、全部落ちたからなんですけど(苦笑)。仕方ないんで、文章書くか……という感しで。

──あと、ビジュアルノベル形式ではなく、AVGだけを作っているのは、やはり、あの三行表示のリズムを大事にしているからなんですか?

麻枝 そんなことないです(笑)。

涼元 じやあ、ビジュアルノべル形式でも全然構わないんですか?

麻枝 いいですよ。でも、あのスタイルだと文章の下手さが目立つから……やっぱり、僕の文章は三行単位で出てくるから、辛うじて読めるというのもあるんで(苦笑)。読み込む前にどんどん消えていってくれますし。


言霊とリズム

──でも、麻技さんの書くテキストというのが、小説やシナリオのそれというよりは、作詩のニュアンスに近いから、三行表示の形式が合っているのかな……とか、個人的に思っていたりしたんですが。

麻枝 ああ、僕の場合、短いほどいいんですよ。文が。

涼元 描写になると、ややトーンダウンする感じはしますね。

──確かに、ビジュアルノベル形式だと、短いセンテンスで画面を切り替えていく演出などはしつこくなってしまいますね。

麻枝 でしょうね。

涼元 意識的に短いセンテンスにしているところもありますし。

麻枝 『AIR』は特にそうなっているはずですよ。今までの経験というか、自分なりに学んだこともあって、長くするとダメだ、というのがあったんで。

涼元 僕の方も、商業レべルで小説家をやってて、文章を読ませてはいけないというか、同じ描写を繰り返し書いてはいけないし、やっても簡潔にしなければ、というのが身に付いているんで……だとしたら、ゲームの場合も短い文章でどんどん改行していく方が、やっぱり良かったりするんですよ。

──短い文章を反復していくことで効果を出しているところもありますしね。それか麻枝節になっているというか……。

涼元 そうですね。短い文章の断片的なイメージを繋いでいくことで、大きなイメージを形作っていくというか。

──だから、AVGの中でも異質な感じがするんです。おそらく、麻技さんの場合は音楽もやっているからなのかも知れませんけど、イメージの組み立て方が、他のシナリオライターとは違っているんですよ。台詞の一つ一つは紋切り型だったりもするんですが、総体として捉えた時に、ある感情を想起するようになっていて。

涼元 小説の世界だと、短いセンテンスを繋げていくスタイルは、「下手」って言われますからね(苦笑)。全改行文体なんてやったら、「お前、ジュニア小説に行け」と言われたり……でも、あのスタイルにも、スタイル特有の良さがあると思うんですけどね。

──ですね。あと、麻枝さんのシナリオを読んでいると、作風としては全然違うんですけど、中原昌也とかを思い出します。少なくとも、小説やシナリオ生え抜きの人の書き方ではないですね。


涼元氏に聞く『Kanon』とは?

──あと、これは涼元さんにお聞きしたいんですが、『Kanon』の、どのあたりが良かったんですか?

涼元 まず、文章が素晴らしかったことですね。僕が理想とする文章は、できるだけ短く、簡潔に、ってことでしたから。ところが、小説家というのは、文章に対する自己顕示欲があるから、つい、余計なことを書いてしまうんですよ。あと、僕は他の小説家の文章にショックを受けたことは無かったんですが、『Kanon』の冒頭でノックアウトされてしまったんです。伏線の張り方も綺麗だし、キャラもちゃんと立ってるし……これはただ者じゃないな、と。

麻枝 それ……全部、僕とは関係ないところじゃないですか(笑)。

涼元 正直言って、そうかも知れません(笑)。でも、『Kanon』を読んでいて思ったのは、「これ、二人で書いているのが見え見えだよ!」ということで。で、片方は職人的に計算して書いていて、もう片方は書きたいものを書きたい放題に書いている、と。でも、脅威を感じたのは後者でしたね。これは絶対に真似できないだろうな……って。

──それが麻枝さんだった、と。実際、『Kanon』をテキストで読むファンは麻枝派と久弥派に二分されますから。だから、ベクトルが正反対というか、『ToHeart』とかの、ライトなギャルゲーの流れから来た人は久弥さんの方に行きますね。で、「雫」とかに思い入れのあるような、ハードなユーザーは麻枝さんの方に行く傾向があるみたいです。


麻枝シナリオの構造

──あと、麻枝さんのシナリオは、キャラクターが同一化を希求しないというか、コミュニケーションがあらかじめ切断されていて、その切断面が剥き出しになっているところが、内向的なユーザーの気分にハマるみたいですね。

涼元 ああ……やっぱり、ストーリーとキャラクターのどちらに座標軸を置いているかで、その辺の違いが出てくるんでしょうね。麻枝さんの場合だと、あらかじめ作ったキャラクターを崩していく過程で泣かせるじゃないですか。久弥さんの場合だとキャラクターは崩さないでずっと維持されているんだけども、ある瞬間で突然泣かせるという……。

──「キャラ萌え」という観点で見た場合だと、キャラクターはずっと崩さない方がいいんですよね。

涼元 その方が、ストーリーを通してのイメージが決まっているから、感情移入しやすいですよね。でも、僕が一番脅威に感じたのは麻枝さんの舞シナリオなんですよね。これは普通の人には絶対に書けない〜、って。

麻枝 だったら、『MOON.』やってください(笑)。あれは凄いですよ〜。こんなんよく出したなー、って感じで。でも、舞のシナリオって、世間的には一番ダメなシナリオということになってるんですけどね(笑)。

──舞のシナリオは、イメージとしては一番凄いと思いますよ。でも、わかりづらいというのはあるかも知れませんね。前後に説明となるイメージが挿入されていても、その理由はあくまで何となくわかるかも……という感じで、それが良いんですけど、イメージが強烈過ぎて常人には理解の範疇を超えてる(笑)。


『AIR』を巡る言葉

──そういえば、涼元さんは元々パソコンゲームとかはやっていたんですか?

涼元 全然やってなかったですね。『青猫の街』という小説を書いた時に、パソコンのことを詳しく知って……インターネットを始めたんですよ。それで、その手のゲームを紹介しているサイトを見つけて……最初にプレイしたのが『トゥルーラブストーリー』だったんです。で、強烈にハマりまして、次にプレイしたのが『Kanon』だったんですよ。

──インターネットといえば、『AlR』や『Kanon』で、ユーザーがインターネット上で意見を発表していたりしますが、その中で、面白かったものはありましたか?

涼元 かなり精密に解釈している人がいて、驚きましたね。

──書き手の思惑を超えたところまで書いていたりしますからね(苦笑)。その辺、皆さん、えらくマニアックというか……人のことは言えないんですが。

涼元 でも、基本的にはこちらの考えていたことに沿っていて、それは凄いな、って思いますよ。

──例えば、僕なんかがゲームについて書く場合は、せいぜい、編集者だった頃の経験則に照らし合わせているようなレベルなんですが、本当に学者さんの卵みたいな感じの文章が、『Kanon』や『AlR』という題材で色々と書かれているんで、時々、驚くんですよ。

涼元 形而上学みたいなところで語ってみたい時に、Keyのゲームは、かなり面白い素材になりますよね。ただ、『AlR』は『Kanon』や『ONE』に比べれば、そういうのはできない仕組みにはなっていると思いますが。


『AIR』が生まれた理由

──『AlR』という企画を通せた理由に関して、商売的なことが当然、前提として存在するとは思いますが、作品的に受け容れられるかどうかの確信というか、『Kanon』や『AlR』が発生した動機や土壌とは何なのでしょうか?

麻枝 プロットの段階で、既に基本のイメージは固まっていたというか、今までにないものになりそうだな、という予感はあったんですよ。ただ、ごっつい不安もありましたけど(笑)。

涼元 僕が麻枝さんからプロットを聞いた時は「技術的に可能なのか?」という部分で、すごく不安になったんですけど(笑)。

麻枝 だって、社長が「いけるやろ」って言うから(笑)。

涼元 いや、プロットで見た段階では、視点を次々にずらしていく上に、最初にあった視点を消したりするという……かなりの離れ業を要求するものだったんで、どうなのかな、というか、小説でもかなり難しい技術を要求するものだったんで、辛いんですけど〜、って。

──その辺、麻枝さんの発想はやっぱり、小説的なところとは無関係な場所から来ていますよね。

涼元 ですねー。実際にできるかどうかを考えてませんよね(笑)。

──『Kanon』が当たったから、同じ路線でもう一回……とは考えなかったんですか?

麻枝 考えてなかったですね。逆に、毎回違うものを作らなければ、と思っているので、プレッシャーありますよ(苦笑)。

涼元 次の課題は「繰り返し遊べるもの」ですね(笑)。

麻枝 いいですよ。受けて立ちますよ(笑)。

──うーん。何となく思ったんですけど、ビジュアルアーツって、異常に間口が広いですよね。『AlR』にしても、エロ要素の含有率の間題とかで、他のメーカーだと通りにくい企画な感じがしますし。


『AIR』を超える作品とは?

──だいたい、この部屋に貼ってあるポスター、どれもこれもバラバラじやないですか(笑)。『AlR』のポスターの横に、新東宝のピンク映画風な『密猟区2』のポスターがあったりして……いや、このデザイン自体はもう最高なんですけど、これ、来た人がビックリしませんか?

麻枝 社長に言わせると、『AlR』の綺麗なイメージだけがビジュアルアーツだと思われたらアカンということらしいです(笑)。

──なるほど。あと、『Kanon』や『AlR』の路線を追うようなゲームはやっぱり少ないような気がするんですが。実際に書きたがってる人がいてても、メーカーの側が求めていないというか、需要がないという意見もありますよね……。

麻枝 それ、本当ですか?(笑) うーん……結構あると思うんですけどね。

涼元 逆に言うと、『AlR』や『Kanon』で方法論を提示してしまっているわけですから、もっとそういう作品が出てきても、不思議ではないと思うんですが。

──まあ、このタイプの作品はコンセプトだけである程度の本数が計算できるものではないでしょうし、それでも当たる保証なんか何もないわけですから、仕方がないのかも知れませんが……。


「世界卵」としての可能性

──あと、グラフィック・音楽・シナリオ・スクリプト…各パートに均等に負担がかかるタイプのゲームは、製作母体が経験を積み上げていかないと難しいのも確かですね……だから、現時点で追走しているメーカーのいくつかは、今の段階では『ONE』作っているようなものだと思うんですよ。辛抱して作り続ければ、道は見えてくると思うんですが。

麻枝 Keyは先行して積み上げてきた分があるから、たまたま目立っているのかも知れませんね。

──確かに……『ONE』には度肝を抜かれましたから、ゲームを始めたら、幼なじみが起こしに来て、学校に行ったら先輩とぶつかるって……どういうことよ?と(笑)。だから、最初の一日目で呆れて、ゲームをブン投げようと思ったんですが、後の展開が「なぜにあの展開から、こんな方向に行くんだー」っていう感じで、今度は新鮮な驚きがあったですね。

麻枝 それが良かったみたいですね(笑)。

──「原型からの逸脱」というか、飛躍、という意味では凄い作品だったんですけど、逆に『Kanon』を先にやってなかったら途中で挫折していたかも知れませんね。でも、元々『Kanon』をプレイした動機にしても、周りの作家連中が激昂したり、ボロクソに言っていて、「そんなに言うのなら、やってみるか」っていう、ヘそ曲がりな動機でしたし。

涼元 ありゃ、ボロクソですか(苦笑)。ゲームを作る姿勢として、こういうのは許せない、っていうことですかね?

──そうですね。そういうことを言ってたのは、やっぱり漫画家とか、他のメーカーの人とか、割とクリエイターな感じの人でしたから。やっぱり、そういうポジションにいるとプライドもあるわけしやないですか。

麻枝 だから、作り手の側にいる人だと、おそらく……制作者のあざとい顔が見えてしまうんでしょうね。しかも、売れるとわかっているけど、作劇上での禁じ手というか……タブーをやってるから……。

涼元 ただ、それって古典的な手段ですし。だからこそ、小説や映画でも使われてきたと思うんですが(笑)。

──逆に言うと、相対化され過ぎているというか、そういうゴシックロマン的な部分を自ら禁じ手にしてしまっているから、現代に於ける物語のスケールが小さくなってしまっでいるのかもしれませんね。






インタビュー収録時期:2000年10月下旬

インタビューアー:更科修一郎



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