2003年7月16日 掲載
 
球宴初球ヒット 「思い切り詰まった」と苦笑い
 

大リーグ・オールスター戦の初打席で左前打を放つヤンキースの松井=USセルラー・フィールド(15日、共同)
 【ニューヨーク支局15日道上宗雅】(16日夕刊)シカゴ・USセルラー・フィールドで十五日に行われた米大リーグのオールスター戦。期待にたがわぬ球宴デビューだった。公式戦同様に初球を狙った左前打は、苦笑いの「思い切り詰まった」という当たりだった。それでも、交代後、ヤンキースの松井秀喜選手は「これを自信に今後へ生かしていきたい」と誓い、“真夏の祭典”の体験は心地よい興奮となり、早くも後半戦の勝負に照準を合わせた。

試合前の練習の合間、スーパースターたちと談笑する場面もあった。ガルシアパーラ(レッドソックス)は「昔、日米野球で対戦したのを覚えていてくれた」という。「今度、一緒にバーベキューを食べに行こう」と誘ってくれたのはスウィーニー(ロイヤルズ)だった。新人の松井にスターたちは優しかった。

 試合開始直前の国歌斉唱時は、外野全体に広げられた大きな星条旗と両翼に並ぶイリノイ州の州旗を万感の思いで見つめながら厳粛な雰囲気に浸った。国歌のフィナーレに頭上を六機の戦闘機が通り過ぎた際に鳥肌が立つような震えを感じたのは、松井だけではないだろう。

 記念すべき球宴初ヒットを打ち、ベンチに戻ってヘルメットをとった松井の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。二ゴロだった二打席目を終え、交代したが、試合中、ベンチで大きく口を開いて豪快に笑ってもいた。力と力の真っ向勝負がうれしかったのか。

 「とにかくすべてを楽しみたい」と話していた。試合前の練習、記念撮影、セレモニー、そして日本人大リーガーのイチロー、長谷川との競演―。華やかな舞台に立ち、「楽しみました。いい思い出になった。なおかつヒットも打てて良かったです」。飾り気のない松井の本心である。

●夢の右中間ついに実現 キャッチボール「一緒にやろうか」

 【ニューヨーク支局15日道上宗雅】(16日朝刊)球宴発祥の地・シカゴのUSセルラー・フィールド。十四日、その球場でヤンキースの松井とマリナーズのイチローがキャッチボールをしながら談笑した。約二十五分間。共にファンの期待を背負いながら、過酷な日程で北米を転戦する両雄だけに話は尽きなかったはず。十五日夜(日本時間十六日午前)、日本でも実現しなかった中堅、右翼を固める二人の雄姿は日本人大リーガーの象徴となる。

 白いユニホーム姿のア・リーグの選手たちがグラウンドに続々と姿を見せる。その中でも背番号「55」と「51」はスタンドのファンの注目を集めた。どちらからともなく近づいた二人は、イチローの「一緒にやろうか」の声に約五分間のキャッチボール。二人が大リーグでキャッチボールをするのはもちろん初めてだ。

 続いて二人は外野の中堅守備位置に場所を移して、松井の打撃練習が始まるまで談笑。米国のテレビ局が二人をクローズアップで映し出す。「二人だけの話です。皆さんにお話しするようなことじゃない」(松井)。確かに誰も入り込めないような雰囲気があった。

 一九九六年の日本でのオールスター第二戦。九回二死の場面で、全パのマウンドにはイチローが立った。全セの打順は松井だったが、当時の野村克也監督は代打にヤクルトの高津投手を送った。球界では、この時から二人の間にはしっくりしない面があるとの声もあった。

 「特別な気持ちはあります。こういう場面で一緒になるとは、当時(高校時代)は夢にも思っていなかった」。二人は高校時代、星稜、愛工大名電のナインとして練習試合も行い、将来を話し合った仲でもある。大写しされる二人の表情には、七年前のオールスター戦での特別な感情はまったく感じられなかった。

 十年余りの時を経て、星稜の怪物はヤンキースの大物新人、愛工大名電の天才はマリナーズが誇る不動の一番打者に進化し、世界最高の野球選手たちが集う真夏の祭典で初共演する。

 
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