2004年10月23日 掲載
 
まだ野球したい スタジアムでロッカー整理
 
【ニューヨーク支局22日道上宗雅】ヤンキースの松井秀喜選手は二十二日、ヤンキースタジアムを訪れ、クラブハウスでロッカーを整理した。ヤンキースタジアムでは今季最後となる会見で松井は「まだ他のチームが野球をやってると思うと、やりたくなる」と話し、ワールドシリーズ進出を逃がした悔しさをあらためてにじませた。

松井は午後三時ごろ、いつものように自分で自動車を運転して球場に入った。クラブハウスに入ると約十五人の米メディアに取り囲まれ、二十分余りの質問責めに。今季の活躍の見事さと来季への期待の大きさを印象づけた。この間、いすに座ろうともせず立ったまま丁寧に受け答えしたのは、さすが昨季の「グッドガイ賞」受賞者だ。

二十三日から始まるワールドシリーズに、松井はさして興味を示さなかった。自分たちを破ったア・リーグ王者レッドソックスとナ・リーグ代表カージナルスのどちらを応援するのかという問いに対しては「どっちでもいい。関係ないもん」と素っ気なく答えた。

無理もない。ワールドシリーズは自分がプレーするはずだった舞台である。「起きた時間はいつもと一緒ぐらい。まだナイターモードなんだ。プレーするつもりだったからね」。シーズンが終わったことを頭では理解していても、体はまだ野球を欲しているようだ。



【ニューヨーク支局22日道上宗雅】(23日付け朝刊)ヤンキースの松井秀喜選手はプレーオフ敗退から一夜明けた二十一日、公式戦とプレーオフ計173試合で疲れがたまった身体を休めた。二十二日にはヤンキースタジアムのクラブハウスでロッカーを整理する。松井の大リーグ二年目が静かに幕を閉じる。

 「終わった感じがしない」。レッドソックスとのア・リーグ優勝決定シリーズに敗れて松井が口にしたのは、昨季、ワールドシリーズ制覇を逸した時と同じ言葉だった。気持ちの中では終わっていないのにユニホームをたたむのは無念だろう。ワールドチャンピオンに輝く日まで、この悔しさを胸に秘めて常に自身を鍛えていくはずだ。

 シリーズ第7戦の会見が終わった後、松井が報道陣に聞いた。「今年も草野球やるんでしょ?」。昨年のオフに報道陣の草野球大会に参加し、情け容赦ない豪打を披露した。最後のステージに進めず不完全燃焼に終わった今年は、さらに打ち足りないらしい。束の間の「戦士の休息」であるにもかかわらず、松井の頭から野球が離れる日はないようだ。

 最強といわれたヤンキース打線の中心にいた。レギュラーシーズンでの31本塁打、108打点。ポストシーズンでの圧倒的な勝負強さ。松井が飛躍の米大リーグ2年目を語った。

 ―軌道に乗ったのは。

 「スイングという意味では開幕時にほぼ固まっていた。今年の開幕は自信を持って迎えた」

 ―オープン戦では苦戦したが、三月中旬の一週間で一気にバランスを整えたように見えた。

 「その通り。練習ではいいんだけど、試合では駄目という感じ。そこに誤差があった。それが試合をやっていくうちになくなった」

 ―六月は月間で自己最低の打率2割1分。それでも最多の7本塁打。

 「疲れから来るもの。正直言って一番疲れていた。ホームランが出ていてもいい感覚はなかった。逆に言えば、疲れだけだった」

 ―昨秋、米国にいるうちに打撃練習を始めた。

 「自分のイメージを持っていて、すぐ次の年に取り掛かるという意味では二〇〇一年と似ていた。あの年首位打者を取ったけど、打撃は最後まで狂ったままだった。それを直したかった。だから時間が必要だったし、(キャンプ地の)宮崎にも行った。去年は悪かったわけでないけど、一年間メジャーを経験してやらなくてはいけないことが増えた」

 ―詰まることを恐れない、と球を限界まで引きつけたのが、いつの間にか詰まらなくなった。

 「準備の問題だと思う。相手を知ることによってある程度思い切りのいい打撃ができる。どういう球が来るのか、ある程度イメージしていれば、怖がることはない。例えばライターからのホームラン(6月26日のメッツ戦での14号)でも初めからカットボールのイメージがなければ打てなかった」

 ―九月以降4番に定着した。

 「正直、打順へのこだわりは全然なくなった。日本にいたときの感覚じゃない。日本にいるときは試合前に打順なんか確かめなかった。今は何番なのか見るからね」

 ―一年目より楽しめるようになった。

 「こうやって去年から毎日試合に出してもらって、最初に持っていた不安要素はなくなった。来るときは試合に出られるかも分からなかった。確かに今は試合に出られるようになっていろいろ楽しめるようになった。ニューヨークでは一人で出歩くようになったしね。ただ英語はなかなかしゃべれない。それだけはどうしようもない」

 
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