2004年10月3日 掲載
 
松井とイチロー 2人きり「密談」
 

2003年の大リーグオールスター戦で守備練習中に談笑するマリナーズのイチロー選手(右)とヤンキースの松井選手=USセルラー・フィールド(AP=共同)
 【ニューヨーク支局2日道上宗雅】「イチローさん」。ヤンキースの松井秀喜選手は、大リーグでは二年先輩となるマリナーズ・イチロー選手をこう呼んでいる。一日、試合を終えて偉大な記録達成を知った松井は、祝福の言葉を贈った。「イチローさん自身はいつも通りのプレーをしているだけだと思う。それで大記録に手が届いたんだからすごい。それ以外の言葉は思い浮かばない」。高校時代からイチローを知るだけに、その偉大さを誰よりも感じ取ったに違いない。

 不滅の記録と言われたシーズン最多安打記録を破ったイチロー。松井も二年目の今季、31本塁打を放ち、大リーグのスラッガーの仲間入りを果たしたといってよい。ヒットを積み重ねるイチローに対し、ホームランを追い求める松井とタイプは違うが、認め合う二人は高校時代から浅からぬ因縁があった。

 イチローの母校である愛工大名電高と毎年、練習試合をしてきたのが星稜高だ。松井も星稜時代には一つ年上のイチロー率いる愛工大名電と対戦した経験がある。二人が出会ったのは一九九〇(平成二)年、六月の金沢だった。

 「すごいバッターや」。この練習試合で星稜・山下智茂監督が舌を巻いた。「すごいバッター」とは愛工大名電の二年生で3番右翼の鈴木一朗選手。つまりイチローだ。

「ホームベースぎりぎりの位置に立ってインコースいっぱいのボールを打ち返す高校生を初めて見た」。当時は振り子打法ではなかったが、”天才”の片鱗(へんりん)はすでにあった。

 翌九一年は名古屋へ。しかし、練習試合は雨で中止になった。夜、両高ナインの野球談議で盛り上がる寮の広間にイチロー選手の姿はなかった。しばらくして、広間にいないイチローから一人の星稜選手にお呼びがかかった。松井である。のちに日本を代表する打者同士、通じ合うものがあったのだろう。どんな話があったのか。”密談”の内容は今も二人の秘密である。

 午前四時ごろ、星稜ナインは室内練習場に響く打撃練習の音で起こされている。「マジかいや…」。猛練習に明け暮れる松井ら星稜の選手たちをも驚かせた未明の快音。主は誰だったのか。当時の星稜ナインは、イチローだったと信じている。

 
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