浪越徳治郎さん 肺炎のため死去「指圧の心は母心、押せば命の泉わく」の名セリフと大笑いで知られる日本指圧協会理事長の浪越徳治郎(なみこし・とくじろう=写真)さんが、25日午前3時7分、肺炎のため、東京都文京区の病院で死去した。94歳。1954年(昭和29年)に来日したマリリン・モンローに計7回指圧を施し、一躍、注目された。豪快かつ明るいキャラクターで、60年代後半からテレビ番組でも活躍、お茶の間に親しまれた。独特ポーズ両手の親指を立てた独特のポーズで「指圧の心は母心……」と唱え、「笑いも健康の秘けつ」と豪快に「ウァッハッハッハ」と笑った浪越さんが、帰らぬ人となった。二男の和民さん(62)によると、浪越さんは25日未明、和民さんや6人の孫にみとられ静かに息を引き取った。約1年半前、黄だんの症状が出たため入院、胆石と診断された。弟子たちが2カ月間、病院に通って指圧を続けた。その後、病状は回復したが、高齢な上に長期間ベッドで寝たきりの生活を送ったため、足腰が弱り、そのまま入院生活を続けていたという。和民さんは「24日に見舞った時は『100歳まで生きる』と話していただけに、残念です」と話した。 母の言葉で幼少時、リウマチで苦しむ母親の痛みを和らげようと体をさすった時「徳治郎の指が1番の治療になる」と言われたのが、指圧の道を目指すきっかけだった。「指圧という言葉を万国共通語にしたい」が生涯の夢だった。浪越さんの名前を一躍有名にしたのは、来日したマリリン・モンローの“ご指名”で指圧を施したこと。54年、新婚旅行で夫の故ジョー・ディマジオ氏と来日中だったモンローが胃けいれんを起こし、浪越さんが滞在先の帝国ホテルに呼ばれた。浪越さんの指圧で回復したモンローは、滞在中に計7回治療を受けた。浪越さんは当時を「モンローはシャネルの5番をつけて、紫色のガウンを羽織っていた。肌がきれいだった」「素晴らしいおしりの形をしていた」などと振り返り「日本で彼女の素肌に触れたのは僕だけだろうね」と、得意げに話していたという。故大平正芳元首相の「主治医」も務めていた。 「生涯現役」68年から70年まで、NET(現テレビ朝日)の桂小金治アフタヌーンショーに出演、「指圧教室」でお茶の間の人気者になった。映画「善人の条件」にも出演するなど、活躍の場は多彩だった。「指圧に引退はない。生涯現役」が口癖だった。和民さんは「人に喜んでもらうことが生きがいで、豪快さと優しさを併せ持った人だった」としのんだ。(写真=「あのマリリン・モンローも指圧したことがある」とイメージの合成写真を手に高笑いの在りし日の浪越徳治郎さん)
飲酒後も胃もむ落語家桂小金治(73) 浪越先生とは「アフタヌーンショー」で共演して以来の付き合い。3週間前にお見舞いに行ったときも「小金治君、よく来てくれたね」と喜んでくれた。先生も僕も酒が大好き。酒を飲んだ後は胃から腸にかけてマッサージするといいよと言われ、今でも僕は続けています。この年になってもうまい酒が飲めるのは、先生のおかげと言えるかもしれませんね。歌手佳山明生(49) 幼いころに父を亡くした僕にとって、浪越先生は父親のような存在でした。僕が22歳のとき、当時の所属事務所が経営していた店に、よくお酒を飲みに来ていました。売れない時代からよく面倒を見てもらい「氷雨」がヒットしたときも大変喜んでくれた。1週間前にお見舞いに行ったときも「女の子と一緒に飲みに行こう」なんて冗談を言ってたんですが……。
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