「子どもと接するのが好きなんですよね。長くやってきたスイミングを通して、かかわろうと思って」。長崎県佐世保市の散弾銃乱射事件で亡くなったスポーツクラブ従業員で水泳コーチの倉本舞衣さん(当時26歳)は生前、知人に仕事の魅力を語っていた。事件当日も直前まで子どもの指導に情熱を注ぎ、銃撃から幼い命をかばうようにして命を落とした。
親しい人によると、舞衣さんは父潤一さんが地元でコーチを務めるスイミングクラブで6歳から水泳を習い始めた。潤一さんの指導を受けながら上達し、中学生までは選手として大会に出場。背泳ぎを得意にしていた。その後も趣味で楽しんでいたという。
高校卒業後、一度は市内のホテルに就職したが、5年ほど前「子どもに水泳を教えたい」とルネサンス佐世保に転職。父親と同じコーチの道を歩み始めた。選手経験があるだけに、子どもが記録を伸ばす指導のコツも知っていたという。怒らずやさしく、丁寧な指導が持ち味だった。
舞衣さんの選手時代を知る市水泳協会関係者は4月、約10年ぶりに舞衣さんと再会。スポーツクラブで指導するのを見て「あの潤一さんのお嬢さんがコーチをしているのか。良い娘に育ったな」との感慨を抱いたと振り返る。
16日の舞衣さんの葬儀。潤一さんは「舞衣のことを無念の死とか、かわいそうとは思わないでください。大好きな子供たちを最後まで守ったのですから」とあいさつしたという。
「子どもが生まれたら、みんなに抱かせてあげるね」。親族の結婚式で花嫁が投げたブーケを受け取った時、周囲に語った子ども好きの舞衣さんの夢は馬込政義容疑者の凶弾で絶たれた。【川名壮志】
毎日新聞 2007年12月18日 13時41分 (最終更新時間 12月18日 14時58分)