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光野桃「きれいの先にあるもの」

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「音楽浴」=光野桃

 12月もこの時期になると今年一年どんな年だったか、なにを愉(たの)しんだか、静かに振り返ってみることにしている。

 今年もたくさん山に行き、北インドやタイなどに旅をしたが、旅以外にひとつ、新しい愉しみが増えた。それを「音楽浴」と名づけている。

 あるとき、友人に紀尾井ホールのマリオ・ブルネロのコンサートに誘われたのがきっかけだった。マリオ・ブルネロは、イタリア人で初めてチャイコフスキー・コンクールで優勝したというチェロ奏者で、指揮もする。今年はチェロを担いで富士登山をし、山頂で演奏したことも話題になったから、ご存知(ぞんじ)の方もいるかもしれない。

 イタリア人らしい生きる喜びに溢(あふ)れた彼の演奏に、一昨年、初めて出会い、すっかりファンになったのである。

 友人が取ってくれた席は前から3列目の中央だった。予約をしたとき、すでにそこしかなかったと恐縮されたが、ブルネロの演奏が聞けるなら、と喜んで出かけた。普通、もう少し後ろのほうが音が調和して聞こえるだろう。コンサートホールによっても違うと思うが、あまり前の席は音のバランスが悪いといわれ、そのことは覚悟していた。

 ところが演奏が始まると、思いもかけないことが起こった。溢れんばかりの色彩に満ちたブルネロの音楽が、頭の上からシャワーのように降り注いでくるのである。それは、聴く、というより、まさしく浴びる、と言った感覚に近かった。音の粒が、一つ一つはっきりと感じられ、それが身体の中心に響き、奥底から揺さぶってくる。音楽が色となり形となって、ストレートに身体に入ってくるのだ。

 音楽とは確かに振動なのだ、と、そのとき実感させられた。振動の細かな粒が、体内の水を揺らして、マッサージする。身体と心が一体となって「気持ちいいっ」と叫び始める。

 いい音楽を聴いたときはエンドルフィン(*参照)が湧出(ゆうしゅつ)されて、脳波がアルファ波になる、とはよく言われることだが、演奏する音楽家に近い場所で聴くことは、まさしくその効果が強められるのかもしれない。

 演奏会が終わったあと、友人の顔を見ると、つやつやと、まるでエステに行ったみたいに輝いている。お互いに肌がきれいになったことを確認し、これこそ「岩盤浴」ならぬ「音楽浴」効果だと発見した思いだった。

 以来、すべての演奏会というわけではないが、前の方の席に座って聴くのが愉しみになった。

 今年後半は、鯨の体内にいるような不思議な安心感に包まれる白寿ホールで、ポーランドの若きピアニスト、ピョートル・アンデルジェフスキさんの、瞑想(めいそう)的かつ炎の激しさを内包するモーツァルトに鳥肌が立ったり、N響の精鋭4人組ヴィルトゥオーゾ・カルテットの、日本人の良さを結集した響きあうバルトークに胸がざわざわと高鳴ったり、音楽浴を堪能した。

 上質の生音を全身で浴びる--それはなにより、今年一番の癒やしと元気をわたしにもたらしてくれたのだった。(作家)

 *エンドルフィン=気分を高揚させる脳内物質の一つ

毎日新聞 2007年12月20日 東京朝刊

光野桃(みつの・もも)
1956年東京生まれ。雑誌編集者を経て作家に。著書に「妹たちへの贈り物」(集英社文庫)「おしゃれのベーシック」(文芸春秋)など。新刊「スピリチュアル・デトックス」(文藝春秋)が好評発売中。
 
 

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