記者の目

文字サイズ変更
ブックマーク
Yahoo!ブックマークに登録
はてなブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷
印刷

記者の目:あの十五年戦争は何だったのか=福岡賢正

 関東軍防疫給水部、いわゆる731部隊の隊員だった90代の元兵士を今月中旬、九州の農村に訪ねた。息子たちは都会で家を構え、奥さんも入院中で、2階建ての大きな家にたった1人で住んでいた。

 戦中戦後の話を聞きたいと切り出すと、「もうぼけよるで、しゃべらん。図書館に当時のことを書いた本を預けとるで、それを読んでくれ」の一点張りだった。

 町の図書館に行くと、シベリア抑留について書かれた数巻の全集が寄託されていた。それに目を通して再訪し、前に取材したシベリア抑留者のことやソ連国境近くのハイラルで戦死した私の祖父のことなどを話した。すると表情が和らぎ、「シベリアはひどかった。あんなことは世界史的にも例がないんじゃないか」と語り出した。ただシベリア以外に話が及ぶと「いらんことしゃべったら戦友に迷惑かけるで、しゃべらん」と、口を閉ざしてしまう。

 そこで「子供さんにも話したこと、ないんですか」と水を向けてみた。途端に怒った顔になり、「一切ない。話したくないんよ」と言ったきり、長い沈黙が続いた。その間ずっと彼は遠くを見るような目で中空を見つめていたが、やがて小さな声でポツンと言った。

 「なんであんな戦争したんじゃろうか……。天皇陛下に一番の責任があったんよ。じゃのに戦後もぬくぬく生きられて。死んだもんは浮かばれん」

 その後再び彼を訪ねたが、もうそれ以上は何も話してくれなかった。

 西部・大阪両本社版で今春から始めた「平和をたずねて」(全記事はインターネットで閲読可能)という連載で、あの戦争を生きた市井の人々の話を聞き続けている。かさぶたを引きはがして古傷に指を突っ込むような取材ゆえ、最後まで心を開いてくれない人もいる。それでも何度か訪ねるうち、思わぬ話が聞けることも多い。話してくれなくとも、その沈黙がより雄弁にものを語ることもある。

 出撃しては何度も引き返し、特攻機で自宅近くの畑に突っ込んで死んだ特攻隊員がいた。その機体に巻き込まれて2人の女性が惨死した。母親の断末魔を見た遺児の一人は62年後の今もトラウマに苦しんでいた。

 特攻の町、鹿児島県知覧町(現南九州市)にはかつて2軒の遊郭と朝鮮人女性ばかりの粗末な店が1軒あった。出撃前にやってくる特攻隊員は荒れ、本音をたたきつけたかのような刀傷を遊郭の壁にいくつも残した。その遊郭は敗戦後、進駐軍の慰安所にされ、特攻隊員の刀傷が残る部屋で女性たちは今度は米兵の相手をさせられた。

 そんな米兵の一人に強姦(ごうかん)されて子供を産んだ女性もいた。彼女は最初、「話したくないの。取材はみんな断ってきた」とかたくなだった。それでも時折漏れる彼女の愚痴にうなずいていると、偏見と闘いながらその子を育て上げた日々を3時間にわたって語ってくれた。

 フィリピンのルソン島では、飢えて陣地を離れた将兵たちが敗戦後、米軍ではなく自軍陣地に戻ったばかりに、敵前逃亡だったとして銃殺された。62年間ずっと胸に秘めてきた87歳の元兵士が「お迎えも近いし、もういいだろう」と明かしてくれた事実だ。彼はまた、フィリピンで恋仲になった少女が慰安婦として日本軍に拉致され、最後は殺された話もしてくれた。

 私たち戦後世代は、戦中世代に遠慮し過ぎていたのかもしれない。あの時代にあなたは何を考え、何をしたのか、それを今、どう思うのか。本当は繰り返し問いかけるべきではなかったのか。今も取材を続けながら、そう思う。

 今年5月、改憲手続きを定めた国民投票法が成立した。半年後、2大政党である自民党と民主党の大連立未遂騒動が起きた。その仕掛け人は改憲へ向けた世論作りに邁進(まいしん)する読売新聞の渡辺恒雄主筆だった。両党の党首会談実現に動いたのは「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国」と7年前に語った森喜朗元首相。そして彼らの働きかけにのって大連立に走りかけたのは、戦争のできる「普通の国」を目指していた小沢一郎民主党代表だ。

 07年。我々は近い将来に国民投票があると覚悟し、しっかり考えておかねばならなくなった。そのためには今の憲法を日本にもたらしたあの十五年戦争が何だったのかをもっときちんと知る必要がある。それを伝えられる人々は次々にこの世界から退場しつつある。

 国民投票法が施行され、国会で改憲の発議が可能になるまであと2年5カ月。もう時間はあまりない。(西部報道部)

毎日新聞 2007年12月26日 0時15分

記者の目 アーカイブ一覧

ニュースセレクトトップ

エンターテインメントトップ

ライフスタイルトップ

 

ヘッドライン

おすすめ情報