ホテル  |  自動車  |  ゲーム  |  健康食品  |  旅行  |  スポーツ  |  タイヤ  |  生命保険  |  天気予報  |  モバイル  |  英会話  |  ダイエット  |  エステ  |  アルバイト  |  中古  |  出会い  |  ペット



ポイントランキング
2008 カレンダー
2008 ドライバー
2008 チーム
2008 サーキット
レギュレーション

F1 テスト
F1 歴代記録
GP アーカイブ


ニュースリスト
チームリリース




プレミアム
ご入会はこちら!

プレミアムサイトとは?



グランプリ
F1 テスト
チーム
レースクイーン
ユーザーフォト
プライベート

特集写真






設立
1970年

GP初開催
1970年8月2日

GP開催回数
30回

収容人数
約 100,000人

主催者
DMSB

プレスオフィサー
Hartmut Tesseraux
Tel: (+49) 6205 950116
Fax: (+49) 6205 950210


インフォメーション:
Hockenheim-Ring

Motodrom
68766 Hockenheim
Germany


Tel: (+49) 6205 9500
Fax: (+49) 6205 950299





01 - Nordkurve
02 - Agip kurve
03 - Sachs
04 - Sudkurve







距離
4.574 km

周回数
67周 (306.458 Km)

コーナー数
12 (左コーナー:4) (右コーナー:8)

Top speed
330 Km/h

スタートラインオフセット
0 m

ダウンフォースレベル
チームにより異なる

2005年 レース時路面状態
dry

ベストラップ
K. ライコネン - 1'13''780
(2004年, マクラーレン)

予選レコードタイム
M. シューマッハ - 1'13''306
(2004年, フェラーリ)


2006年 ポールポジション
K. ライコネン - 1'14''070
(マクラーレン)


2006年 表彰台
1. M. シューマッハ
2. F. マッサ
3. K. ライコネン


F1の歴史上でも最も長いサーキットのひとつであるホッケンハイムは、森の中を抜ける高速コース。高度なハンドリングが要求されるコーナー中心のからまったセクションは、セッティングに妥協点を見いだすのに時間を要する。ストレートでは、エンジンをフルスロットルで長い間走らせる必要があり、3つのシケインでのブレーキングも負担過多だ。しかし、それだけでは観客が息を切らすほどのスリリングな機会はない。

問題は数回にわたるサーキット改修にある。1960年代初期、近くに高速道路が造られたことによって(印象的なスタジアムの正面観客席とショートトラックを建設することによって許可された)短くはなったが、1939年にオリジナルのトラックが造られた時はそれ以上に長かった。現在のホッケンハイムリンクは、1968年にジム・クラークがF2000のレース中に不慮の事故に遭い、死亡したことに因ってより大幅に変えられている。

ホッケンハイムリンクはもともとメルセデスのテストサーキットとして使われているが、地元ドイツの国民的のヒーロー、ミハエル・シューマッハの影響で、観客席で誇らしげにフェラーリの旗を振る熱狂的なファンの様子が見られるのも、このサーキットの特徴である。

1970年、ニュルブルクリンクで改修工事が行われていたため、一度きりのドイツGP開催サーキットとして採用されている。その初グランプリは劇的だった。ヨッヘン・リントは後ろにジャッキー・イクスの存在を感じながら走り続け、まさに“テール・トゥ・ノーズ(後ろにぴったりと付いて走る状態)”と言える状況で争われたのだ。

その後の1977年、前年にニキ・ラウダがニュルブルクリンクで大ケガを負ったため、ドライバーたちの要望に応える形で、ホッケンハイムが7年ぶりにF1の舞台に復帰。そして皮肉にも、そのレースでニキ・ラウダが勝利したのである。

1980年にはパトリック・デュパイエがこのサーキットでのテスト走行中に命を落としている。

ホッケンハイムリンクで最も記憶に残るレースとして1982年が挙げられる。そのレース中、ネルソン・ピケがエリセオ・サラザールと衝突、その後ピケはサラザールにつかみかかって乱闘騒ぎを起こし、新聞に不名誉な見出しを飾ってしまったのだ。また、このレース中、ディディエ・ピローニが雨の中の練習走行中に負傷。代わりにピローニのチームメイトのパトリック・タンベイが感動的な勝利を果たすなど印象深いグランプリであった。

このサーキットで行われた中で最も波乱に満ちたグランプリは1994年のレースだろう。オープニングラップが終わる頃には、約半分のマシンがコース上から姿を消してしまったのである。シューマッハもリタイアしたが、走り続けたゲルハルト・ベルガーが4年ぶりとなる勝利をフェラーリにもたらした。

2000年も印象深いものになったと言える。特にブラジル人ドライバー、ルーベンス・バリチェロにとってはなおさらだろう。バリチェロは18番手からスタート、天候の変化に加え、メルセデスの元従業員が解雇の腹いせにコースに侵入するという珍事も起こり、すべてが彼に味方した形で1993年にデビューしてから8年目にしてようやく初勝利を飾った。感極まったバリチェロはブラジル国歌を耳にしながら表彰台の上で涙を流し、その姿に誰もが心から彼の勝利を祝福したのである。

ホッケンハイムはシューマッハが勝利した2001年のグランプリ後に改修され、コース全長が大幅に短くなった。ホッケンハイムリンク70周年記念の2002年シーズン、新しい姿と“ホッケンハイム・バーデン・ビュルテンベルク”という新しい名前に生まれ変わった新たなサーキットの誕生だ。木々の間を抜けるロングストレートも大幅に改修され、現在はきつい右コーナーから“パラボリカ”と呼ばれる極めて長いダウンフォースの左高速コーナーへと抜けるコースレイアウトになっている。そして、突き当りにはローギアでハンドルを目いっぱい切らなければ曲がれないほどきついヘアピンがあり、この後右コーナー、左コーナー、右コーナーへと続く。コース全長が短くなった分、周回数は45周から67周に変更された。

2002年ドイツGPは地元のシューマッハが勝利を飾り、またもや彼のファンは熱狂的に彼の勝利を祝福。

2003年はファン-パブロ・モントーヤが第1コーナーでトップを奪い、そのまま独走して優勝を飾った。ラルフ・シューマッハ、キミ・ライコネン、バリチェロの3人はスタート直後に接触し、そのままリタイアを喫している。マクラーレンのデビッド・クルサードが2位に入り、ルノーのヤルノ・トゥルーリはリアタイヤのブリスターに苦しみながらも最終的に3位表彰台に上がった。

2004年はシューマッハがポール・トゥ・ウイン。B・A・R Hondaのジェンソン・バトンはレース中にヘルメットのストラップが緩んでしまうトラブルを抱えながらも見事2位に入り、ルノーのフェルナンド・アロンソが3位だった。

2005年はポールポジションからスタートしたライコネンが35周目まで独走する展開だったが、ハイドロリック系のトラブルに襲われ無念のリタイア。アロンソが勝利を手にし、最後尾スタートのモントーヤが2位表彰台を獲得した。

フェラーリが1-2フィニッシュを果たした2006年、優勝は地元ヒーローのシューマッハ。2位のフェリペ・マッサとは1秒弱の差だった。一方、ポールシッターのライコネンは3位となっている。

そして2007年、ホッケンハイムはドイツGPをニュルブルクリンクと交替開催することになり、同年のレースはニュルブルクリンクで行われた。ヨーロッパGPの名称は2008年シーズン、開催地をバレンシアに移動し、スペイン国内2つ目のレースとして開催される。


2006 M. Schumacher (Ferrari)
2005 F. Alonso (Renault)
2004 M. Schumacher (Ferrari)
2003 J-P. Montoya (Williams)
2002 M. Schumacher (Ferrari)
2001 R. Schumacher (Williams)
2000 R. Barrichello (Ferrari)
1999 E. Irvine (Ferrari)
1998 M. Hakkinen (McLaren)
1997 G. Berger (Benetton)
1996 D. Hill (Williams)
1995 M. Schumacher (Benetton)
1994 G. Berger (Ferrari)
1993 A. Prost (Williams)
1992 N. Mansell (Williams)
1991 N. Mansell (Williams)
1990 A. Senna (McLaren)
1989 A. Senna (McLaren)
1988 A. Senna (McLaren)



     




[25/09/08 - 00:22] 
クレーガン、アブダビGP開催に力を貸すことに
スピードはNASCAR参戦か

[24/09/08 - 23:54] 
さらなる前進を求めるフォース・インディア
シンガポールGP - フォース・インディア - プレビュー

[24/09/08 - 20:08] 
シンガポールGP延期のうわさをハウグが否定
「そんなことは何も聞いていない」

[24/09/08 - 19:39] 
パット・シモンズQ&A;
「厳しい戦いになるだろう」

[24/09/08 - 18:02] 
フェラーリのドライバーたちは協力する
モンテゼモーロは“自信がある”と語る

[24/09/08 - 17:46] 
アロンソのフェラーリ移籍は進行中
サンタンデル銀行が支援も・・・

2008 サーキット



メルボルン - 03/16
セパン - 03/23
サヒール - 04/06
バルセロナ - 04/27
2008 サーキット



イスタンブール - 05/11
モナコ - 05/25
モントリオール - 06/08
マニクール - 06/22
シルバーストーン - 07/06
ホッケンハイム - 07/20
ハンガロリンク - 08/03
バレンシア - 08/24
スパ - 09/07
モンツァ - 09/14
シンガポール - 09/28
富士スピードウェイ - 10/12
上海 - 10/19
インテルラゴス - 11/02
ポイントランキング

(1996-2008)Copyright RACING-LIVE
当ホームページ掲載の文章、画像、写真などを無断で複製、転載、転用、流用することは法律で禁じられています。 ご利用規約