第8回 営業マンからサービス業へ・・・。


     ワタクシにとって衝撃的で悲惨なライブの後も、その営業の仕事はもちろん続けました
    が、そこに就職して丸1年がたった頃、営業ノルマに対する実績が評価される時期にワタク
    シは部長に呼ばれてこう言われました。

     「入江君、ボクは一年間君の仕事ぶりを見てきた。君が真面目に一生懸命取り組んできた
    営業に対する姿勢は非常に高く買うが、いかんせん上がった実績はかなり悪い、悪すぎる。
    専務や常務、本部長からも言われたが、君がもしウチの社に残りたいと思うなら管理(現場
    監督)としてしかやらせられない、営業としては雇えない、ということだ。どうする?君の
    気持ちを聞きたい。」

     いわゆる肩たたきにあったわけです。それもそうだと思いました。何せ2000万のノル
    マの内、上がった実績は200万。しかもその物件も先輩に譲ってもらったものですから実
    質的には1年間やって何の仕事も取って来れなかったのです。

     「部長、ボクはこの会社に営業として入ってきました。自分で実績が上げられなかったこ
    とは自分としても非常に恥ずかしいことだと思っています。管理として残れるといっても、
    それは自分がやりたくてそちらに移るというのではなく、情けをかけてもらってということ
    ですよね。そしたら今後ずーっと負い目を感じながら仕事を続けることになってしまいます
    ので、・・・。やっぱり僕は退職します。」


     また失業してしまいました。しかし、今度はあまり時間をおかずに就職することが出来ま
    した。店舗デザインの営業をやっていたお陰で色々な店を見ることが出来、色々な人と話を
    することが出来たおかげで、まだまだ未熟ながらワタクシの世間が少し広くなりました。そ
    して、
     「やっぱり実家が旅館という水商売だから水商売の方が向いているかもしれない」(親父
    が持っていた営業の才能は自分にはない、そしたら今度はオフクロの・・・というわけで
    は・・・)
     と思い、飲食店関連で面接を受け、すぐに次の就職先が見つかりました。そして勤務が決
    まったお店は、横浜駅そばにあるポリネシアンレストラン。担当はホール係。
     そこでの一日は朝11時出勤、ランチの準備をして12時から2時くらいまでがランチ営
    業、その跡片づけをして1時間の昼休憩、4時から夜の準備にかかり6時開店、11時まで
    の営業が終わって12時〜12時半に退社、だったと思います。店はけっこう毎日忙しく、
    特に金曜日と土曜日は目が回るほどでした。

     この店では、毎日エレクトーンの演奏を行っていましたので、その奏者の女の子達と演奏
    について、曲について、音楽について話をする機会に恵まれました。彼女たちもプロのプ
    レーヤーとして生活していますのでその演奏する姿を見ることで、音楽をほとんど忘れかけ
    ていたことに気づかされるいい刺激にもなりました。

     その店のアルバイトでギターを弾くという学生、ジャズボーカルのレッスンを受けている
    というエレクトーン奏者の「ヤマザキ」さんがボーカル、同じくエレクトーン奏者の「カツ
    タ」さんがキーボード、今はロシアにいってしまった学生の頃からの友人がベースと言う組
    み合わせで、久しぶりに2〜3回のスタジオセッションをやりました。現在ピアニストとし
    て活躍している「福井朋美」さんともこの頃からの知り合いです。

     店のオペレーションにも慣れてある程度仕事の段取りも自分でどんどん組めるようになっ
    た次の夏、二人目の子供が産まれました。やっぱり女の子。ただし今回はワタクシが前回の
    ように面倒を見れないのは分かっていましたので、カミさんに頼んでワタクシの九州の実家
    で産んでもらいました。いまだに次女は「私はお父さんと同じ九州生まれよ」と自慢げに
    言っています。

Irie Profile