第16回 BIRDからグラム・スラム、そして・・・

     約2年間BIRDとして営業をしてきた店もお客さんの数が増えず、プリンスのプロデュースする
    ディスコ「グラム・スラム」として大きく様変わりをしました。ボックスシートを作りその中心にプ
    リンス専用の座席もできましたが、客足は増えませんでした。

     そしてとうとう店を閉めることになってしまいました。BIRDとしてオープンした直後から閉店ま
    での約3年間働いたワタクシは、「お店の最後を見届ける」事になってしまったのでした。約1カ月
    前位に閉店を聞いていたワタクシ達スタッフは各自次の仕事(店)を探し始めました。

     ワタクシは「BIRD」の前シェフが移っていった横浜本町通り近くのかなり大きなホテルに「ウチ
    を見に来い!」と呼ばれて行ったり、当時のシェフの紹介でこれもけっこう大きな新横浜にある某ホ
    テルへ面接に行ったりしていましたが、そういったホテルには夜勤があるという事に対してウチのカ
    ミさんが難色を示していましたので、結局辞退しました。

     そんな中、大変可愛がっていただいていたBIRDオープン当時の総支配人から誘われてその方が勤
    めている会員制スポーツクラブ「アービル横浜」に、そこの業務部主任として勤めることにしまし
    た。

     業務部の仕事は会員の方達がアービルにあるゴルフのショートコースを利用する際の予約業務と、
    ショートホールでのゴルフコンペの運営、夏場に解放される野外大プールの運営などでした。仕事自
    体はルーチンワーク中心でしたので比較的自由な時間が持てるのも小さな子供二人を持つお父さんと
    してはとても助かりました。

     ワタクシのドラムセット、モタロー2号はというとBIRD時代からの社長の厚意で相変わらず当時
    のままに屋上に置かせてもらい、そこでときどき練習をしていました。

     ある日古い友人からワタクシの自宅へ突然電話が入り、
    「ボクがプロデュースするバンドでドラムを叩いて欲しい。」
    との誘いがあり、その申し出を快く引き受けました。
     そのメンバーにBassの「吉迫浩介」、Guitarに後のザ・コージーコーナーズの「佐藤ゆうご
    う」、Keyboardsには「小林沙織」さんがいました。

     半年間ほど小林さんのオリジナル曲を中心にリハーサルを続けましたが、何人ものオーディション
    をしたにも係わらず、バンドにとっての良いボーカリストが見つからず、結局自然消滅的に活動しな
    くなりましたが、現在のワタクシにとっては、幾つもの非常に重要な意味を持つバンドでもありまし
    た。

     そのひとつは、ある日佐藤君から
    「ボクの知り合いのバンドでドラムを探しているんだけど、入江さん叩かない?」
    と話を持ってきてくれたのです。

     そのバンドとは、コンセプトが「Stuff」の究極のコピーバンドという、今も活動を続けている
    「NEWS TUFF」。そしてメンバーにGuitarの「植木啓示」「南部栄作」という現USPの重鎮が名を
    連ねていたのです。
     演奏スタイルも、それまでワタクシが経験してきたロック、ラテンフュージョン、ポップス、ブ
    ルース等のバンドとはかなり違っていて、非常に個性派ぞろいで、しかも腕の立つ面々ですので、2
    〜3回のリハーサルをやったら即、本番ライブ!
    「こ、こんなの、は・じ・め・て!」(ちょっと表現がエッチ?)
    と戸惑う事も多々ありました。


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