第19回 いよいよ音楽業界へ・・・

     そして、翌年平成3年1月末をもって「アービル横浜」を退社し、翌2月に音楽
    制作会社「(株)サウンドM's(エムズ)」に入社しました。
     入社したのはいいけれど、「M's」でワタクシに何が出来るかを考えたとき、
    Drummerとしてやる仕事はなく、出来ることといえば「営業」しかありませんでし
    た。しかし、「営業」は店舗の設計施工会社で悲惨な実績を残していたワタクシは
    「営業は自分には向いていない。」
    と思っていましたので全然自信がありませんでした。けれども、
    「とにかくこの会社で今の自分がやれることは営業しかない。」
    と自分に言い聞かせて仕事に臨みました。

     そしてこの会社の制作スタッフとして先に述べたBandで一緒だった「小林早織」
    「田中三喜」両氏がいました。また2カ月後に「黒岩東彦(はるひこ)」が入社し
    てきました。
     会社設立した頃はいわゆる「カラオケバブル」に突入する直前でしたので、まず
    「通信カラオケのデータ制作を請け負ってくる。」
    ことが第一の営業方針でした。経営サイドの話ではすぐにでも、とある会社から膨
    大な量のカラオケデータ制作の依頼が来る事になっていましたが、そのプロジェク
    トがなかなか始まらず、
    「ただ手をこまねいて待っていても仕方がない。稼ぎが無いのに給料をもらうわけ
    にはいかない。その巨大プロジェクトが始まるまでに少しでも売り上げがないと赤
    字が膨らむばかり。」
    と、カラオケデータ制作の下請けの仕事をやらせてもらったり、新しく何処そこが
    通信カラオケ事業を立ちあげるという情報が入ったら、そこへ営業に行ったりして
    いました。

     そんな中で、
    「コナミが通信カラオケを始めるらしい。」
    という情報が入ってきて、勇んでコナミへいきました。
    その時のサウンド開発室の担当者として対応して頂いたのが、現コナミミュージッ
    クエンターテイメント社長の福武さんでした。

     福武さんに通信カラオケの話をすると
    「通信カラオケですか?そんな話、ありませんよ。」
    「コナミ、通信カラオケを開発!」はガセネタだったのです。じゃあゲームのBGM
    の作曲はどうでしょうと尋ねてみましたが、
    「内部にサウンドスタッフが充実しているコナミとしては、ゲームのBGMを外注す
    ることはまずありませんね〜ぇ。」
    とのことでした。

     その時のワタクシはパソコンを触ったことがない、MIDIがどういうモノか、チョ
    ビット知っているくらいで「打ち込み」というモノを十分理解している訳ではあり
    ませんでした。ただゲーム業界の音楽制作はMIDIでの音楽制作と非常に近い部分が
    あるらしいことだけは理解できました。当時スーパーファミコン全盛でしたが福武
    さんから、
    「CD-ROM媒体のゲーム機(PCエンジン、メガCD)が出始めていて、これからのゲ
    ームメディアとしてCD-ROMが中心になっていくでしょうネ。そしたら音楽もCDク
    ォリティーで鳴らせるようになりますょ。」
    という話を聞いて、同行していた田中氏と帰り際に
    「ゲーム音楽は、これからもっと面白くなるんじゃない?」
    と意見が合い、その後ゲーム業界へのアプローチに力を注ぎました。

     もちろん福武さんとの別れ際に
    「何かありましたら、是非ゼヒ声をかけて下さい!」
    との言葉は忘れませんでした。

     そしてその2カ月くらい後に、突然福武さんから電話が入り、
    「仕事お願いしたいんですが、やってくれはりますか?」
    その仕事というのが、現在も引き続きやらせていただいている「MIDI POWER」の
    Ver2の制作でした。


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