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掘り出しニュース:黒船驚かせた力士 意外と弱かった?

白真弓関の浮世絵
白真弓関の浮世絵

 ◇弱~い?8俵かつぐ怪力

 江戸時代に幕内で活躍した身長2メートルを超す白川村出身の関取、白真弓肥太(しらまゆみひだ)右エ(え)門(もん)(1829~68年)展が高山市一之宮町の飛騨位山交流館で開かれ、人気を集めている。米俵を一度に8俵かつぎ上げた怪力として知られ、その名は和歌などの飛騨の枕詞(まくらことば)にもなっている。だが、生涯の通算成績は58勝123敗17分71休と、意外に弱かったらしい。1月15日まで。

 同市教委一之宮教育振興課の今井幸三学芸員が「郷土出身の白真弓関への理解を深めてもらおう」と企画した。市内の愛蔵家から借りた浮世絵師が描いた肖像画をはじめ、手形、番付表、白真弓自ら勧進元となって開いた高山場所の模様が描かれた絵など12点を展示している。

 当時の大相撲は1年2場所で10日目が千秋楽だった。白真弓の通算成績表によると、1853年11月に東張出前頭で初土俵を踏んだが、土俵入りのみで10休。翌4月場所も土俵入りのみで10休。初めて相撲を取った同年11月場所は西前頭8枚目で1勝4敗1分4休と、39歳に現役のまま亡くなるまで通算30場所を務め、勝ち越しは1857(安政4)年11月の7勝2敗1休だけだったとなっている。

 この成績からは弱い関取にみえる。だが、体重150キロの恵まれた体格で腕力に勝ったというのが定説だ。1853年にペリーが浦賀へ来航した際には黒船を親善訪問し、日米両国関係者の前で米8俵を一度に持ち上げて喝采(かっさい)を浴びた記録もあるという。【奈良正臣】

 2007年12月6日

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