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設立
1950年

GP初開催
1950年9月3日

GP開催回数
58回

収容人数
約 115,000人

主催者
Monza

プレスオフィサー
Paolo Montagna
Tel: (+39) 02 7745239
Fax:(+39) 02 781844


インフォメーション:
Autodromo Nazionale
Monza

Via Vedano 5
Parco di Monza
20052 Monza (MI)
Italy


Tel : (+39) 039 24821
Fax : (+39) 039 320324





01 - Cur. grande
02 - Var. Roggia
03 - Lesmo 1
04 - Lesmo 2
05 - Serraglio
06 - Var. Ascari
07 - Parbolica







距離
5.793 km

周回数
53周 (306.720 Km)

コーナー数
10 (左コーナー:4) (右コーナー:6)

トップスピード
368 Km/h

スタートラインオフセット
309 m

ダウンフォースレベル
low

燃料 / 周回
3.1kg

ベストラップ
R. バリチェロ - 1'21''046
(2004年, フェラーリ)

予選レコードタイム
R. バリチェロ - 1'20''089
(2004年, フェラーリ)


2008年 ポールポジション
S. ベッテル - 1'37''555
(トロ・ロッソ)


2008年 表彰台
1. S. ベッテル
2. H. コバライネン
3. R. クビサ


1922年にたった100日間で、ミラノのオートモービル・クラブによって造られたモンツァは、現在使用されているヨーロッパのサーキットの中で最も古いもののひとつである。イタリアで2番目に大きなミラノ市郊外のロイヤルパークに、長くフラットなストレート、高速コーナー、シケインなどがレイアウトされ、ヨーロッパのサーキットで最も平均速度が速いサーキットのひとつで、その開催暦もやはり長い。

サーキットは第二次世界大戦中、軍隊の駐車場として使われたため、爆弾による被害に遭ったが、オリジナルレイアウトも幾分は残っている。このサーキットで 1930年代にありとあらゆる種類のコンビネーションが培われ、興味深いことにすでにシケインも使われていた。1950年以降、サーキットはほとんど改修を受けておらず、1970年代に新しいシケインが設置されたものの、モンツァは依然として高速サーキットのままで、それゆえマシンへの負担も大きい。

1950年のF1世界選手権開始以来、1980年を除いては(1980年イタリアGPはイモラ開催)毎年モンツァでイタリアGPが開催されている。1950年の初グランプリはフェラーリのファリーナが制し、初代ワールドチャンピオンの栄誉に輝いた。

1960年にはフィル・ヒルがアメリカ人として初のグランプリ制覇を達成。翌1961年もフィル・ヒルが勝利してワールドチャンピオンを決めたが、共に王座を争っていたチームメイト、ウォルフガング・フォン・トリップスが観客12人を巻き込む悲劇の大事故によって死亡するという悲劇とも重なった。

1965年、ジャッキー・スチュワートは記念すべきグランプリ初勝利をモンツァで達成。翌1966年、フェラーリのルドヴィコ・スカリフィオッティーが母国勝利を決め、同じくフェラーリのマイク・パークスが2位に入り、フェラーリは本拠地での1-2フィニッシュという最高の結果を残した。

1970年、ヨッヘン・リントが予選中の事故により落命。1971年は上位5台のマシンによる混戦の中、ピーター・ゲシンが抜け出し勝利を手にした。ロニー・ピーターソンが1973年、1974年、1976年とモンツァを制している。1978年、スタート直後のクラッシュで命を落としたのも、このモンツァだった。

デイモン・ヒルが1993年、1994年と連覇。ジョニー・ハーバートが1995年にレース人生における2度目の勝利を成し遂げている。

1996年シーズン、ミハエル・シューマッハがフェラーリにとって1988年以来となる本拠地での勝利を果たし、その勝利はティフォシ(フェラーリの熱狂的なファン)たちをまさに狂喜乱舞させるものだった。1997年はマクラーレンのデビット・クルサードが勝利。翌1998年はシューマッハがシーズン初のポールポジションを取ると、2年振りにイタリアGP勝利を果たした。1999年はジョーダンのハインツ・ハラルド・フレンツェンが勝利を決め、ジョーダンのコンストラクターズ選手権3位獲得に大きく貢献している。

2000年、再び悲劇が起こった。スタート直後に数台のマシンを巻き込んだ激しいクラッシュが発生。マシンのパーツが一面に飛び散り、その一部がマーシャルを直撃、即死だった。それでもシューマッハは勝利のために走り続ける。多くのファンは彼がそのレース終了後のインタビューで見せた、その表情を忘れないだろう。マーシャルの死の悲しみと自らが崇拝する故アイルトン・セナの勝利数に肩を並べることができた喜び、2つの感情が交錯する複雑な心境が一瞬、瞳の奥に映し出されたように見えた。

2001年9月15日のイタリアGPが開催される直前に、ニューヨーク国際貿易センタービルで同時多発テロが発生、追うように元F1ドライバー、アレックス・ザナルディがカート第16戦のレース中に事故に巻き込まれて両足を切断するというニュースが流れる。すべてのF1関係者にとってそれらは胸を痛める悲しい出来事であった。2001年イタリアGPで、せめてもの明るい話題は、ルーキーのファン-パブロ・モントーヤが初勝利を飾ったことだけだったと言えるだろう。

2002年、ルーベンス・バリチェロが勝利。シューマッハが2位に入り、フェラーリは母国のイタリアで1-2という最高の結果を残している。

2003年、イタリアGPまで6戦連続で優勝がなかったシューマッハだったが、フェラーリ50勝目を地元イタリアGP、ティフォシの前で達成した。ドライバーズ・ランキングでシューマッハはモントーヤに3ポイント差まで追い詰められてしまったが、シューマッハは動じず。チームメイトのバリチェロも3位で表彰台に上がった。

2004年のイタリアGPはシューマッハがスタート直後の第2コーナーでスピンし、最後尾までポジションを落としてしまう。一方でバリチェロはトップを奪うが、天候に合わせたはずのタイヤ選択が裏目に出てしまい、ポジションを下げた。しかし、最後はバリチェロが素晴らしい復活を遂げて優勝、2位には最後尾から驚異的な走りを見せたシューマッハが入っている。フェラーリに続いたのは、B・A・R Hondaのジェンソン・バトンと佐藤琢磨の2台。フェラーリの地元でシューマッハとバリチェロが1-2を飾り、イタリアのファンにはまたとない年だったと言えるだろう。

2005年にはまったく違う展開が待ち受けていた。シューマッハは10位、そしてバリチェロは周回遅れの12位という結果に終わったのだ。レースを制したのはポールスタートのモントーヤ、その後ろにルノーのアロンソとフィジケラがつけ、11番グリッドからスタートしたライコネンが4位まで浮上した。

レースを制したシューマッハが決勝後にこの年限りで引退することを発表した2006年。一方、ライバルのアロンソにとっては、予選でフェリペ・マッサのアタックを妨害したとして、ペナルティを課せられるなど、タフな週末となった。また、そのアロンソは53周で争われた決勝の44周目にエンジンブローでリタイア、ルノーにとっても厳しいグランプリとなっている。そんな中、2位につけたライコネンに続いたのは、BMWザウバーのロバート・クビサ。見事な走りを披露し、F1レース3戦目にして初表彰台を獲得した。

2007年はマクラーレンに移籍したアロンソが圧勝。2位にはチームメイトのルイス・ハミルトンが入った。一方、チャンピオンシップを争うフェラーリ勢は、メカニカルトラブルに見舞われたマッサが早々にリタイア。ライコネンは1ストップ作戦を採って一時は2番手を走ったものの、終盤にハミルトンにかわされて3位だった。

セバスチャン・ベッテルが53周のレースをトップでゴールし、歴史に名を刻んだ2008年イタリアGP。2位につけたヘイキ・コバライネンに12秒差をつけての初優勝だった。これにより、ベッテルはF1史上最年少優勝ドライバーとなったのだ。

トリッキーなコンディションで行われた予選でも完ぺきな走りでポールポジションを獲得したベッテル。レースはセーフティカー先導でスタートしたものの、レースが再開した最初のラップを終えた時点でトロ・ロッソを駆るベッテルはマクラーレンのコバライネンに2秒のギャップを築いていた。3位にはクビサが入っている。





2008 S. Vettel (Toro Rosso)
2007 F. Alonso (McLaren)
2006 M. Schumacher (Ferrari)
2005 J-P. Montoya (McLaren)
2004 R. Barrichello (Ferrari)
2003 M. Schumacher (Ferrari)
2002 R. Barrichello (Ferrari)
2001 J-P. Montoya (Williams)
2000 M. Schumacher (Ferrari)
1999 H-H. Frentzen (Jordan)
1998 M. Schumacher (Ferrari)
1997 D. Coulthard (McLaren)
1996 M. Schumacher (Ferrari)
1995 J. Herbert (Benetton)
1994 D. Hill (Williams)
1993 D. Hill (Williams)
1992 A. Senna (McLaren)
1991 N. Mansell (Williams)
1990 A. Senna (McLaren)
1989 A. Prost (McLaren)
1988 G. Berger (Ferrari)



  




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2009 サーキット



メルボルン - 03/29
セパン - 04/05
上海 - 04/19
サヒール - 04/26
2009 サーキット



バルセロナ - 05/10
モナコ - 05/24
イスタンブール - 06/07
シルバーストーン - 06/21
ニュルブルクリンク - 07/12
ハンガロリンク - 07/26
バレンシア - 08/23
スパ - 08/30
モンツァ - 09/13
シンガポール - 09/27
鈴鹿 - 10/04
インテルラゴス - 10/18
ヤスマリーナ - 11/01
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