since 14/DEC/96
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7月
31日
(sat)
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電車の窓から見る夏空は青すぎて毒のようであり、駅舎から眺める並木通りは緑が見る者に刺さりそうであり、そして僕は…。
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アスキーから出てるファミ通DCという雑誌がo u t d e xを紹介してくれたそうなんで、さっそくチェック。小さいながらもちゃんとTOPの画像まで載せてくれてます。ドリキャスどころかファミコンすら触ったことのない僕のページだってのに有り難いことです。
キリンジの新作「47'45"」は、期待通りの気持ち良さ。そして、きっと聴き返すうちに毒が染み出してくるんでしょう。次の「DOS/V magazine CUSTOM」ではこれについて書く予定です。
カセットデッキとパソコンを接続して、レアなテープをCD-RでCD化する計画を実行。しかしWindows付属のサウンドレコーダーの限界を知って気力が失せ、新たな音声編集ソフトを導入するところまではいきませんでした。
どうにも調子が悪くて、今夜のハンサム白書には行けませんでした。皆のDJ見たかったのになぁ。淋しさを紛らわすため、CDを次々にかけて深夜の一人DJ。余計淋しくなりました。
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7月
30日
(fri)
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さそうあきらの「神童」全4巻を一気読み。音大を目指す浪人生・和音が出会った野球好きの少女・うたは、実は天才的なピアニスト。そして、うたがピアノよりも好きな野球の試合や、和音とうたのそれぞれの恋などが描かれていくのですが、この物語が熱を帯びてくるのはそうしたエピソードが終わる3巻あたりからでした。
うたは物語の中で最後まで天才であり、そして純粋です。これは一歩間違うと嫌味になりがちで、扱いが難しい存在です。また、マンガは当然無音のメディアであり、ピアノが人の感動を与える描写に説得力を持たすのは決して易しいことではないでしょう。全体的な構成やキャラには無駄も感じられました。
それでも「神童」の終盤にグッと来てしまったのは、人間同士の接触の描写の確かさと、穏やかな物語の着地のためでした。さそうあきらのマンガにおける「間」はかなり独特で、これまでは人と人とが向かい合ってもかみ合わないような雰囲気を感じてきたのですが、この物語の後半で始まるアクの強い音楽家たちとの交流にはそれが見あたりません。そして、和音とうたはそれぞれに自分の音を求めていき、和音は音大で与えられたチャンスをあえて捨て、うたは実力を認められ名声を得たもののストレスによって聴覚に異常をきたします。この展開をまとめるラストは、糸でひとつの円を結ぶように鮮やかであり、そして暖かでした。
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7月
29日
(thu)
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週刊金曜日別冊ブックレット2「買ってはいけない」は、まさに消費社会に撃ち込まれた散弾銃のような本です。銃を持つのはもちろん左手。食料品・洗剤・化粧品・薬・雑貨の商品名を堂々と出し、それが含む添加物や合成洗剤などの有害性を容赦なく指摘していく記事は、たしかに他の雑誌ではそうそう読めるものではありません。
個人的には、様々な商品で使用されている甘味料・パルスイートについて指摘されている有害性の多さに驚きました。いや、この本を読んじゃうと、コンビニに置いてある商品がみんな恐くなってくるほどです。とか言いつつも今日も買い物してきましたが。漠然と安全性を信じていたシャンプーや液体石鹸の危険性、有機食品を名乗りながらも実際には違う商品もある事実など、「まいったなぁ」てな気分にさせられる記事満載です。ハンバーガーの乾燥ミミズ使用疑惑も蒸し返してるんですが、これについてはちゃんと調べてくれればいいのに。
多くの商品の危険性を指摘する代わり、その商品を使わなくても済むような代替案を提示しているのは親切だと言えます。でも時間がかかるのは間違いないし、また、安全な食品を入手するにも金がかかるのは事実でしょう。この本の執筆者の座談会での発言を読んでいると、好きな音楽には時間と金を惜しまないレコード・コレクターのような人種との近似性も感じました。生活に余裕がある人間に特有の道楽っぽさと言うか。でも、食料品や日用雑貨の方が物理的必要性が高いので、この本に触発されて成分表示に目を通す人がレコード・コレクター人口よりは遥かに多くなりそうです。僕も、自分の不摂生でアレルギーや癌になるのは諦めるとしても、子供とかに影響を残すのは嫌だなぁと考えちゃいましたし。
とはいえ、この本に書かれているデータの全てが正しいのかという判断は、化学に疎い僕にはできません。執筆者座談会で指摘されている、政界・官僚・業界・マスコミ・学会という「黒いペンタゴン」に懐疑的になる必要があるのと同様に、「買ってはいけない」にもまたある程度の距離を取る必要があるのではないでしょうか。重要なのは特定の情報を盲信する姿勢を捨てることであり、能動的に情報を集めて判断していくことなのだと、改めて考えさせられました。
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7月
28日
(wed)
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ピエール・ブーレーズ指揮「シェーンベルク:浄められた夜 他」(SONY)
商学部出身の僕が大学時代に最も熱心に学んだのは音楽の授業だったことは、そもそもの学部選びが間違っていたと認めざるを得ない事実です。4年の時に受けたその一般教養の授業は、前期が民族音楽、後期が現代音楽だった記憶があって、シェーンベルクの「浄夜」(CDによって邦題が違う)もその授業で聴きました。後期ロマン派の香りが強いと解説に書いてある通り、今聴くと意外と普通のクラシックっぽいですが、重く厚く艶やかな弦楽の響きはやはり気持ちいいです。一緒に収録されているベルクの「抒情組曲」と「ヴァイオリン協奏曲 ある天使の想い出に」の方が、不安を煽るような音のうねりが現代音楽的。無調や十二音技法といった単語も、そういえば習ったような。
「オキナワン・ヒッツ&スタンダード」(nafin)
沖縄の民謡や普久原恒勇らによるヒット曲を、伊波智恵子をはじめとするナフィン・レーベルの女性歌手たちが歌ったアルバム。1曲を除いた全てのアレンジを桜井芳樹が担当し、演奏にも関島岳郎・中尾勘二・久下恵生などのオフノート周辺の猛者たちが参加してます。元は民謡の「ゴーゴー・チンボラー」は、ジャズファンクなアレンジになってて唖然。そして体が動き出しちまいます。「我がー判ゆん」には、初めてスーダン歌謡を聴いた時のような泥臭さを感じました。ギターや三線によるシンプルな演奏では深みやおおらかさを感じさせる一方、「いちゅび小」のワイルドな味わいや、「白浜ブルース」のジャズっぽい小粋なアレンジなど、そこらのロックの凡庸なリミックス盤が吹き飛ぶような意匠の凝り方です。ラストの雄大さが沁みるアルバムの構成も秀逸。
「THE VERY BEST OF Todd Rundgren」(RHINO)
最初はTodd Rundgrenの名作と言われる「Something/Anything?」を買おうと思ってたんですが、「I Saw The Light」や「A Dream Goes Forever」など、他のアーティストによってカバーされた曲の数々を収録しているベスト盤に浮気。ソロのほかUtopiaの曲も入ってます。「Real Man」「Couldn't I Just Tell You」「Something To Fall Back On」…いい曲ばっか。特に「Can We Still Be Friends」では、メロディーの美しさとそれを飾る緻密ながら無駄のないアレンジに卒倒寸前です。そういえば彼が一時期いれこんでたCD-Iの音楽システム(?)ってどうなったんでしょうね。
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今日はトリビュート盤「MARVIN IS 60」の日本盤の発売日でしたが、それに気付いたのは帰宅してから。約1年半ぶりの小沢健二の新録音源を聴き逃しちゃいましたよ。でもこれ1曲のために買うかは微妙なところでもあるんで、聴いた方はぜひ感想を教えて下さい。
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7月
27日
(tue)
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可愛い女の子たちがエッチなことをする話が16連発。やまだないとの「ガールフレンズ」は、載ってる雑誌によってはそれこそ「エロマンガ」の一言で片付けられそうです。でも描写は露骨でも、表現が洗練されているのが彼女らしいところ。セックスを通して描かれるのは、ちょっと切なかったりユーモラスだったりする女の子の日常で、そこから機敏がさり気なくすくい取られています。シリアスかつ潤んだ雰囲気の「ero*mala」などとは対照的に、物語を包むのは甘く可愛いムードです。
なお、この単行本において最重要のエロ描写ではないかと僕が考えるのは、58ページ及び144ページで上に乗ってる女の子の右手の位置。各自ご確認下さい。
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人生は遊びであるという人もいますが、凡人である私や貴方がその言葉どおりに生きることのなんと難しいことでしょうか。桜玉吉の「幽玄漫玉日記」第2巻では、主要キャラである桜玉吉・ヒロポン・O村のうち前2者が鬱を患いつつもギャグに身を捧げ、非凡な男たちの格闘の記録が涙を誘います。いや、笑って読んでるんですが。
ニューウェーヴとかヒロポンのデートとかのネタもあるのですが、やはりアスキー株購入ネタがダントツに面白いのは、人間としての欲が絡みまくってるからでしょう。テンションが高まると、絵が青木雄二になってしまうほどです。もちろん会話も関西弁。
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7月
26日
(mon)
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おおむね全ての読みきり作品を収録したという黒田硫黄の短編集「大王」を時間軸に沿って読んでみると、その作風の変化には興味深いものがあります。「蚊」「熊」「南天」といった初期作品は、欠落と不安を下敷きにした不条理な世界。それが「象の散歩」では、自分には未来がないと嘆きつつ象と暮らしてる男の閉塞感が突然消え去って、ある種の解放感が訪れます。この展開は不可思議ながら爽やか。一方、同じように象が去っていく「象夏」では、逆に幸福感が切なさへと推移していくのが印象的です。
よしもとよしとも原作の「あさがお」は、2人の個性が非常にいい具合にブレンドされた作品。そしてタイトルのイメージとは裏腹にとても洒落た物語である「西遊記」の後、黒田硫黄は暴走を開始します。冒頭こそノスタルジックな作品に見えた「THE WORLD CUP 1962」は、いつのまにかスケールがむやみに巨大化。「うまくいじめっことつきあってくしかないんだ」と言う女の子に、「俺が(運命を)変えてやる」と宣言した小林少年はそのまま突っ走り、いじめっこどころか人類の存亡を危機に陥れてしまいます。最高に痛快。「メトロポリス」も、ロボット→悪の組織→野球→英雄という単語を並べると関連性が見つけにくい展開で駆け抜けながら、ラストでは切なさを残します。
人間の狡さも残酷さも知った上で、黒田硫黄の作品には不思議な軽さが漂います。そしてその一方では予想もつかない暴発が。この作品集は、モラトリアムを抱えつつも、胸に収めきれない衝動を表現する術を獲得していく過程の記録でもあります。書き下ろし作品「まるいもの」のやけっぱちな多幸感も、ユーモアを自在に操るようになった彼の力量を物語っているかのようでした。
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7月
25日
(sun)
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渋谷タワーレコードでハイポジのミニライヴ。最近できたらしい地下1階のスペースが会場で、CD買わなくても入れるイベントなのに、ジュースが1杯ずつ無料で振る舞われる気前のよさには驚きました。会場に入ったらど真ん中のVJブースにいきなり進藤三雄がいたのにもビックリで、妙に薄かったコーラへの不満も飛んでいきます。
ハイポジの2人は最新作「4N5」のスリーヴの衣装で登場し、今回は夏秋冬春がドラムで参加。ドコドコピコピコと勢いでブッ飛ばしていくような演奏でした。今回のアルバムについてもりばやしみほが「真っ直ぐな愛がテーマ」という趣旨の発言をしてたんですが、今の彼女はエネルギーも真っ直ぐに噴出させてます。「HOUSE」の頃には創作意欲がないと公言していたのが嘘のようで、間違いなくテンションの高い時期に突入しているハイポジに圧倒されてきました。特に「風の角度に」はいい曲。
終了後、MASAさんとどいさんとで「らんぶる」へ。当然のように音楽話だったのですが、僕はヘビメタやハードロックをほとんど聴いてないという事実が発覚しました。
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o u t d e x更新、2冊を「COMIC」に追加したほか、THE YUAGARI-BOYSが「LINK 2」に加わりました。
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7月
24日
(sat)
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文藝別冊「J文学をより楽しむためのブックチャート BEST 200」は、1年前に出た「'90年代J文学マップ」の続編ともいえそうです。しかし、批判されたり嘲笑されたりしながらも「J文学」という言葉が定着した現状を受けて、微妙に編集のスタンスに変化が見受けられました。
今回の本では、「真理−無意味」「アダルト・チルドレン−マザー・コンプレックス」という4つのベクトルから文学とその周辺文化の分布図を作成し、それに沿って200冊を紹介。さらに石川忠司×神山修一の対談や、中原昌也らの短編が収められています。
しかし最も気になったのは、「J文学とはセールス上の必要性から生まれた名称である」とする、君塚太の「『J文学』という言葉は、意外としぶといと思う」という文章でした。そして表紙デザインはcoa graphicsで、表紙モデルはヒヨコアを作ってる2人。しかも巻頭を飾っているのは作家ではなく、常盤響と村上隆ときています。見上げた根性じゃないですか。
商業戦略的な側面を認めつつ、同時代的な文学を語るための視座を獲得しようと他の文化をも吸収する姿勢は、開き直りを感じるほど徹底しています。そして一層挑発的に。それが鼻につく部分もありますが、既存の文芸評論へのこの挑戦状の行方は注視していたいと思わせられました。
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7月
23日
(fri)
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周囲の大学生連中はそろそろ夏休みらしく、こんなにうらやましくて大丈夫なのか俺は、というほどうらやましい僕はたぶん大丈夫じゃありません。
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精神病歴があると分かるやハイジャック犯の名は伏せるものの、殺害された機長の夫人の実名・顔・住所を微塵の疑問も持たずに垂れ流すメディアのどこに人権的配慮があるのかと怒ったり、キチガイに関わったら殺され損だぜと人権思想に苛立ちつつも同時に守られている自分の居心地の悪さを理論化することができない知性の足りなさを嘆いたり、そうした感覚の全ては極めて凡庸で結局は自分と現実とを切り離すことで安寧を得るであろうことに気付いていたり。一瞬高い熱を放っては消えていく、よくある話です。
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そういえば、去年のコミケの発火物騒動の犯人も責任能力を問えないとか。「コミケット CD-ROM カタログ」は今日発売の予定でしたが、30日に延期されたそうです。
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7月
22日
(thu)
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「MUSIC MAGAZINE」8月号に掲載されている「高木ブーと山内雄喜のウクレレ談義」を読んだら、僕もウクレレを持っていたことを思い出し、押入れで冬物衣類に潰されていたところを引っ張り出してきました。しかし、ウクレレ本体よりもチューナーを探す方に時間がかかり、ギターケースに入っているのを見つけたら今度は電池切れ。四角いやつを買いに走ります。
僕が持ってるのはFamousの1万円ぐらいのウクレレ。一度6千円くらいのを買ったら満足にチューニングすら合わず、差額を出して替えてもらった記憶があります。さっそくかつてのレパートリーであるモンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」を弾こうとしましたが、コード進行以前にコードの押さえ方を忘れていました。
初心に返ってコード表から復習。Ukulele On FireにはコードフォームがHTML形式で、
OK FactoryにはGIF画像でありました。前者にはウクレレの楽譜もあって、洋楽のほか牧伸二の「あゝやんなっちゃった」も弾けるようになりますよ。また、Tokyo Ukulele Institute.には、「ハメハメハ大王」「グリーングリーン」「ドナドナ」など音楽室気分に戻れる曲の楽譜もありました。 僕はジョン・レノンの「ジェラス・ガイ」を練習開始です。ウクレレで。
余談ですが、NHKの「高木ブーのいますぐ始めるウクレレ」って、高木ブーがカミナリ様の格好で登場するサービスぶりだったんですね。素晴らしいなぁ。
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7月
21日
(wed)
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北鎌倉駅で降りると青空というより炎天、日焼け止めを塗りにトイレに行った連れを待ち、眺める簡素な駅舎には部活帰りの中学生たち/ペース配分考えろよって言いながら円覚寺の石段を駆け登り、息を切らせて着いた見晴らし茶屋には台湾リス/もう明月院に紫陽花はなく、ここでは梅雨がもう終わり、帰路は竹林の青を吸う/建長寺は平成14年まで工事中、和尚が外国人女性に「ハイ!」/鎌倉街道の歩道は細く長くて、暑さに全てをまかせたら気を失いそうだから30分歩くよりもバスに/鶴岡八幡宮のハトは人懐っこいというより馴れ馴れしい、僕の腕に止まった2羽は喧嘩を始めやがる/甘味処を出て歩く小町通りには黒雲が、夕立の予感に慌しく動く人々に風情を感じるのは街のせい/ハトサブレーの袋に雨粒が付きはじめたなら、急いで鎌倉駅から横須賀線に乗ろう。
同じ雷の音を江藤淳も聞いていたんだろうか。鎌倉で。
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7月
20日
(tue)
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駅の券売り場で体温を計る午前11時。37度あるけど薬飲んだから大丈夫さ、さぁワイルドブルーヨコハマへ行こう、あははは…。
到着した先は、南国パラダイスな屋内プール。阿部和重の「無情の世界」で、常盤響が装丁を手掛けた表紙に使われていましたが、デザイン上の理由によるものでしょうか、この写真は左右が反転されています。
あまり暑くなかったので外よりも屋内の方が気温が高く、非ステロイド性解熱剤を投与した体には嬉しかったのですが、水に入ってしまっては元も子もありません。しかし後戻りも出来ず、園内を流れるプールを何度となく回り、波のあるプールにも突撃です。大人料金が通常は3900円もするため家族連れが圧倒的に多く、詰め込まれたガキの間に水を流し込んだような状況が必然的に生まれているわけですが、1人500円で入場できる券で行った僕らもガキに負けずに大はしゃぎ。僕のテンションは、薬の副作用によるものだったのかもしれません。
夜は桜木町のみなとみらいへ行くつもりでしたが、花火大会へ向かう浴衣の大群に圧倒されて断念。横浜で過ごして、花火を見られる広場を見つけたら、すでに終了していました。せっかくなんでその場でまた体温を計ると、無茶したわりには平熱だったのです。
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7月
19日
(mon)
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何の心構えも出来てないのに夏コミのカタログが発売されてたもんですから、紙袋の持ち手が食い込んで痛いの何のって。さらに追い討ちをかけるように買い物をしてきました。
「TILL」は枡野浩一さんの特集。Terry Rileyはサイケデリック・ミニマルの巨匠だそうですが全然知らない人で、試聴したところ驚愕するほどカッコ良かったので買っちゃいました。
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o u t d e x更新、Brian Wilsonのライヴリポートを「MUSIC」に追加し、Incer→T Rev2.0を「Link 2」に追加しました。
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7月
18日
(sun)
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目を覚ますと午後4時。しばらく天井を見つめていました。
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報知新聞によると、「ホーホケキョ となりの山田くん」の初日挨拶で徳間康快が、早ければ2001年にも庵野秀明がジブリで監督作品を作ると述べたとか。やっぱり宮崎駿との関係は深かったんですねぇ。
そういえば、中野さんに教えてもらったところによると、小惑星「庵野秀明」が誕生したそうです。恋人の肩を抱きながら夏の夜空を見上げ、「ほら…あれが庵野秀明だよ」「輝きがヒゲみたいね」「僕には首に巻いたタオルに見えるな」なんてベタなことを囁き合うのもロマンティックですね。でも肉眼じゃ見られないそうなのが残念。
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「MANGA EROTICS」の巻頭カラーは砂の「キャンペーンガール」。売春ではないセックスは女にとって可能かとキャンギャルを通して問い、今回もインテリ全開です。意外と良かったのは榎本ナリコの「Iron Maiden」で、設定自体は男子生徒と女教師というありふれたもの。しかし、女教師のサディスティックさの原因となった過去の出来事を描いて、切なくラストをまとめる手腕が光ります。駕籠真太郎の「大蒐集」は、惜しげもないネタのつめ込み方とテンポの良さ。しかもどのネタも悪趣味ときています。担当医師に騙されていることも知らず患者の少女がセックスする、玉置勉強の「永遠の愛」は容赦無しの残酷さ。壊れてる少女の表情とか、人間のダークサイドを描くことに関してはやはり卓越してます。幼女レイプ描写が個人的に全く駄目で、町田ひらくはあまり好きになれなかったのですが、「MOUSE TROUBLE BLUES」は彼の作品で一番気に入りました。「トムとジェリー」を下敷きにしているものの、ジェリーは少女でトムは男。性が絡んで目覚めてしまった動物の本能が生む悲劇は、最後まで乾いているのです。
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7月
17日
(sat)
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今日ソフトバンクから「DOS/V magazine CUSTOM」という自作パソコン雑誌が創刊されたんですが、その「メディマニア」というコーナーでCD紹介をさせてもらってます。第1回では、迷った末にCIBO MATTOの「STEREO☆TYPE A」を取り上げました。他に、しばたさんがマンガ、サイトウさんが小説、LZDさんがゲーム音楽について書いてますよ。
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オナサブ1周年ということで新宿で飲んできましたが、オナサブなんて単語は本人たち以外は誰も覚えてないでしょう。ウガニクさん・OGAIさん・トモミチさん・ユウタくん、そして久々に我々の前に姿を現したゴーが集合、要はいつものメンツです。とりあえず15日生まれの僕とユウタくんのお祝いとかもあったんですが、それは乾杯と同時に終了。あとは、社会生活を営む上で不必要なほどキャラの立ったみんなとの針の振り切れたトークで笑い続け、生き急ぐように5時間を過ごしてきました。
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7月
15日
(thu)
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・手作りケーキ
・大江健三郎「宙返り」下巻
・広末涼子テレカ(ヤンジャン全員プレゼント品)
・宮沢りえ+篠山紀信「Santa Fe」再編集版(中古)
26から27へという数字の変化において無視できないのは、これまでは「20代半ば」でごまかすことのできた何かが、「20代後半」と言わざるをえなくなることによって、漠然とした焦りとともに迫って来ることなのです。その焦りの正体とは、さて?
とはいえ、上記の物を一度にもらえる僕はやはり幸せ者なのです。ありがとね。あと、今日のことを覚えてくれていたり、自分で今日のことを言い出す程度に図太い僕と飽きずに付き合ってくれていたりする友人たちにも感謝を。この日が持つ本来の意味よりも、それを口実にこういう気分を味わえることが嬉しいのです。
というわけで、誕生日でした。
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7月
14日
(wed)
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今日も栗です。メンバー座談会の司会進行をするため、午後6時に近藤研二さんのご自宅にうかがったのですが、他のメンバーもスタッフも誰も来てないという状況。栗原正己さんの家でやってる楽器の撮影が長引いてるという電話があったので、近藤さんちの猫と戯れたり、HARCOのCDを聴かせてもらったりして時間を潰し、やっと人々が到着したのが8時半ごろでした。
ではさっそく…とテープレコーダーを用意したものの、今度はここでメンバー全員のリコーダーを撮影するというので、僕は所在無く待機です。唯一の遊び相手である猫も寝てしまい、久々に思う存分猫とじゃれ合うもくろみも潰えました。10センチくらいから2メートルぐらいのものまで数十本のリコーダーを並べる作業は、さながらアートを制作しているかのようで、配置について喧喧諤諤の議論が続きます。嗚呼、時計の針が軽やかに回っていくよ…。
すべての撮影が終わったのは11時前。もはや僕は終電の時間を気にし始めていました。いっそここに留まって、明日は会社を休んでしまおうかとも考えたのですが、諸々の予定はどうしてもクリアできません。結局後のことは塚田さんにまかせることにしたのですが、そんな僕に近藤さんが一言、「カレー食べていきなよ」。おいしかったです。カレーを食い逃げしたようで申し訳なかったのですが。
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7月
13日
(tue)
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栗コーダーカルテットのツアーパンフ用インタビューはまだ続いています。今日はリーダーである栗原正己さんに会うため、栗Qの本拠地・栗コーダー財団へ行って来ました。そこは壁も屋根も一面がリコーダーで作られた夢の家。栗原さんが出してくれたアイスコーヒーに入っていたストローも、よく見ればリコーダーで……はいはい、もういい加減みなさん飽きてますね。ともかく、すごく高そうな機材が並ぶスタジオでお話をうかがい、ついでにもりばやしみほさんやダリエさんが歌ったCMソングのレア音源も聴かせてもらいました。機材が並んでいるだけに身動きには気を付けねばと思っていたのに、いきなりグラスを倒しちゃってすいません。
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脱税容疑でガイナックス社長逮捕なんてニュースを知っても、「ったく金のある奴はいいよな」とかいう荒んだ言葉しか出てこない僕は疲れ気味。毎日新聞はガイナックスを「ガ社」と略してて、音がメカっぽいです。
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書き忘れてましたがo u t d e x更新してます。「BOOK」に4冊を追加したほか、「Link 2」にダイアローグを追加しました。
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7月
12日
(mon)
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チケットを買った頃には遥か先のことだったBrian Wilsonのライヴですが、とうとうその日が来ちまいました。東京国際フォーラムに集まった客層は、長年Brianを待ちわびていたと思われるマニア層と、近年「PETSOUNDS」辺りから入ったと思われる若者層とに大別可能。もちろんThe Beach Boysのヒット曲を知っている程度の人も多くいたんでしょうが、S席が8500円では集まる人種も気合が入っていて、僕の隣に座っていた西新宿ブート界隈系の人々は、いきなり怪しげなMDを交換してました。恐るべし。
まずはBrianのキャリアをまとめたビデオが上映され、客をじらしたところで本人が登場してライヴはスタートです。正直言ってヘロヘロなんじゃないかと予想してたんですが、現れたBrianは意外なほど元気でした。彼の歌は、やはり音程やリズムが危うい部分もありましたが、そんなこと大した問題じゃなかったんですよ。1曲ごとに「アリガト!」と繰り返し、スタジオでのプロデューサーのごとく客に立てだの座れだの指示し、終盤ではなんと立って踊りながら歌い出したんです。バックのミュージシャンもしっかりBrianをサポート。そして彼の歌うメロディーは、眉間からエンドルフィンが噴き出しそうな気持ち良さでした。あんなに客の拍手や声援の大きなライヴは初めてだった気もするし、アンコールを求める拍手もえらい熱さ。The Beach Boysの代表曲やソロの曲、カバーをとりまぜた選曲も良かったし、個人的には満足できました。
終演後、とり・みき先生と田山さんに合流して、有楽町の焼き鳥屋へ。とり先生には同人誌をいただいたり奢っていただいたりで恐縮です、ありがとうございました。
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7月
11日
(sun)
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今日はしばたさんの誕生日ということで、OHP掲示板周辺のメンツで飲み会でした。あやこさん・WestRiverさん・SAI2COさん・吉本松明さん・旅人さん・メビウスさん、そしてしばたさんと僕という8人のうち、7月生まれが実に5人もいたのは何か深い業でもあるかのようです。あと、これだけマンガ好きが集まると逆にあまりマンガの話が出ないという事実は新鮮でしたが、僕が帰った後で炸裂してたんでしょうか。
1時間ほどで座を辞して、大学時代の友人と食事。半年前に友人の結婚パーティーで会って、その後は電話とメールを少しだけ。そんな風に中途半端に連絡を取ったり取らなかったりしていると、実際に会った時に意外と話すことが少ないことに気付いたのです。
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7月
10日
(sat)
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渋谷DESEOで鈴木博文さんのライヴ。初めて行くライヴハウスだったけど、かつて芽瑠璃堂があった場所でした。バックは西村哲也と川口義之の2人だけながら、その編成でも歌の世界を見事に引き出すアレンジ。最新作「Birds」の曲たちも素晴らしく、それは夕立の後に草木が一気に匂い立つかのような瑞々しさで表現されました。ゲストの森脇松平には若き日の高野寛を連想。もうひとりのゲストの守屋里衣奈は博文さんが曲を提供してる人で、「さよならは夜明けの夢に」をデュエット。加藤千晶と共演した時も歌ってたし、若い女の子とステージに立つとこの曲を演奏するようですね。アンコールで「柵を越えて」を聴けたのが嬉かったです。
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終演と同時に新宿へ。オレサマさん・ハルヲさん・MASAさん・まちださんと合流して、9月頃に予定しているイベントの相談です。でもこのメンツだと脱線に脱線を繰り返し、気がつけばマニア話に乗り上げているのでした。
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7月
9日
(fri)
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栗コーダーカルテットのメンバー・インタビュー第2夜、今日は関島岳郎さんでした。関島さんはチューバ奏者としてのセッション活動がものすごい数のうえに、これまでに参加したり現在参加していたりするバンドの数が20ぐらいあるんで、その経歴をなぞるだけでも勇気が要ります。何枚にも及ぶ仕事リストで、何の曲に参加したか分からないと関島さんが言う宮村優子のCDについて、「それ僕持ってます、『不意打ち』です」と即答できるのもいかがなものでしょうか。コンポステラと栗Qの音楽性の共通点について僕が言及しようとしたところ、「ジャンルはどうでもいいんですけどね」ときっぱりと関島さんが言われていたのが印象的でした。
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7月
8日
(thu)
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遅れて読んだ本と雑誌について3つほど。
リリー・フランキーの「日本のみなさんさようなら」は、500字弱で見せる文章芸の集大成です。日本映画についてのコラムながら、映画自体を解説することはむしろ稀。映画によって触発されたアイデアを短い字数で表現するため、冒頭からいきなり深い洞察が始まることが多く、その迷いの無い斬り込み方が魅力です。それは語られる内容が下品であれ高尚であれ、男であれ女であれ、映画であれ思い出話であれ変わりなく、ちらりと人生と呼ばれるものの影がかすめるのが隠し味。写実的に描くと似顔絵が似てるのに、リリー・テイストに持ち込もうとすると途端に誰だか分からなくなるのが唯一の難点でした。俵万智のイラスト、すごすぎ。
タワーレコードで「bounce」をもらってきたら、中原昌也の小説が連載開始。「中原昌也のストリート・スケッチ'99 キッズの未来派わんぱく宣言」ですって。もう底無しに人をなめてますね、たぶん本人もタイトルを正確に覚えてないと思います。そしてストーリーは次回へちゃんと続くのでしょうか。
「ダ・ヴィンチ」8月号の特集「エッチな女性が好きですか?」を小谷野敦はどんな気分で読むのだろうかと、彼の批判する宮台真司の発言を読みながら考えました。大江健三郎の「宙返り」、対峙するのにはかなりのエネルギーを消耗しそうですが、そろそろ読んでみます。
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7月
7日
(wed)
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栗コーダーカルテットのツアーパンフレット用に、近藤研二さんにインタビューしてきました。近藤さんご自身に作成していただいた「ほぼ全仕事ver1.0」を見ながら、まずはバンド/セッション歴から。近藤さんが最近ではMisiaともやってたとは知りませんでした。栗Qにおける近藤さんのポジションとか今後の展望とかいろいろうかがい、栗Qとハイポジにおけるスタンスの違いが聞けたのも興味深かったです。
ちなみに、ハイポジのニューアルバム「4N5」は、ハイポジ史上最高の打ち込み率だとか。インストアイベントが17日と25日にあるようなんで、場所と時間を調べなきゃいけませんね。
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で、栗Qのライヴにゲストで出たこともある岡村靖幸の近況を近藤さんに聞いたらご存知ないとのことだったんですが、帰宅してビックリ、公式ページで新曲が聴けると知ったんですよ。ギター弾き語りの「元気です」と、タイトルだけで路線が想像できてしまう「SEX」の2曲。個人的には、「元気です」の生身な感じが新鮮でした。
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7月
6日
(tue)
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諸々の解説書や指南書の類も多少は部屋にあるんですが、本当に必要なものこそ無くて途方に暮れるのが世の常。最近は夜に眠る方法を忘れて困っているのです。どうやんだっけかなぁ。昔、相原コージ+竹熊健太郎の「サルでも描けるまんが教室」で、グルメマンガに続くものとして睡眠マンガを描いてた回がありましたね。絵柄はビッグ錠。竹熊がふくしま政美と組むんなら、あのネタでやって欲しかったです。ふくしまの絵は劇薬だけに、読んだ後でますます眠れなくなる副作用がありそうですが。
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7月
5日
(mon)
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小谷野敦の「もてない男 ― 恋愛論を超えて」において「もてない男」とされているのは、セックスをしているかや外見の美醜に関係なく、好きな女に愛してもらえない恋愛下手な男のこと。つまり、他者を求めようとしても「恋愛」という形で獲得できない男のことです。そして、童貞・自慰・恋愛・嫉妬・愛人・強姦・反恋愛などについて考察していくわけですが、童貞であることや喪失の不安、日本オナニー史、「女は押しの一手」なんて言っても所詮もてない奴はダメ、一夫一婦制の虚偽、強姦に関しての筒井康隆の発言批判など、自虐的なまでにスリリングな視点で展開していきます。最後に行き着いたのは、恋愛以外に楽しいことが今の日本に存在するのかという、恋愛不要論が直面する問題でした。
この本の魅力は、古今東西の文学や評論・マンガなどを数多く引用する研究・論説的な部分はもちろん、その語り口であることは見逃したくても見逃せません。本人もあとがきで述べているように、この本はむしろエッセイと捉えるのが妥当と思えるほど面白いのです。「やけくそだから実名を挙げる」と宮台真司らを「女にもてる男フェミニスト」と批判するなど一切の嫉妬を隠さず、時として自分の経験を赤裸々に語って読者にいらぬ憶測を膨らまさせます。長年鬱積したルサンチマンがもはや心身の一部となり、いつも少し青筋が浮いているかのような雰囲気。「嫉妬・孤独論」での放熱具合は尋常ではありません。
しかし、やたらと引き合いに出す上野千鶴子を念頭に置いてか、対フェミニズム戦略も垣間見えます。ルサンチマンは、すでにひとつの芸風として昇華されているのでしょう。ただ小谷野は、自分にも今では「ファン」がいることを認めつつも、以下のように述べています。
そういう付加価値がなくて一番切実に異性に飢えていた学生時代にはほんとうにもてなかったのである。その怨念だけは忘れられないし、これからだってどうなるかわかりはしない。
こう語る彼のことですから、「俺は昇華なんかしなくていいから学生時代に恋愛がしたかったんだよ!」と言いそうであり、そう言われると僕ももらい泣きをするしかないのです。けっこう胸の震える本でした。
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o u t d e x更新、So what?・NANKAI・fissionesを「link 2」に追加しました。
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7月
4日
(sun)
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ネット上に広く蔓延し、ウイルスよりも強い感染能力を持つ伝染病――それは鬱。というのは思いつきです。早く梅雨が明けるといいよね。
ピアノ1台による演奏しか収録していないCDなんて、集中力が続かなそうでめったに聴かないのですが、George Gershwinの「GERSHWIN PLAYS GERSHWIN THE PIANO ROLLS」は聴いてて全然ダレません。このアルバムに収められた曲は全て彼自身による演奏で、大部分が1920年代の音源とは思えないほどクリアな音。ミュージカルや映画音楽などのポピュラー音楽の作曲家だと解説すると退屈そうですが、ジャズやクラッシック、大衆音楽が混合された小粋な音楽が詰まってます。音で聴く古き良きアメリカって感じで、目に浮かぶのはセピア色の風景。14分以上に及んで目まぐるしく展開していく「Rhapsody in Blue」はやはり素晴らしいです。あ、DA PUMPの曲とは同名異曲ですよ…と注意しなくても誰も間違えませんね。
萩原健太さんのページ見てたら、マーヴィン・ゲイのトリビュート盤「Marvin Is 60:A Tribute Album」のレヴューで、日本盤には某日本人アーティストによるカヴァーが1曲追加されるという噂が紹介されていました。やはり噂は本当なのか、小沢健二。いや、噂が本当でも録音がちゃんと間に合うのかが重要そうです。
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7月
3日
(sat)
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旅人さん・ソエダさんと銀座で飲んできました。僕らは全員72年生まれで、小説を読むのが好きでもあるんで、その辺の共通項で5時間ぶっつけトーク。酔った僕は、初対面の旅人さんに向かって青臭いことをまくし立ててしまい、旅人さんが受け流してくれたり、ソエダさんがフォローしてくれたりと、皆さんに気を遣わせてしまいました。しかもよく考えてみれば、僕は他人に意見できる立場か怪しいものなわけで、言わんとする衝動の根本に何があるのかを見据えてから言葉を発するべきだったかも。このお詫びはまたいつか…。
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7月
2日
(fri)
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「DOS/V magazine CUSTOM」の原稿の校正のためにソフトバンクへ。別にFAXでも郵送でもいいんですが、修羅場を迎えて寝袋持参の人もいるという編集部を一目見ようとお邪魔してきました。「結局のところ、孫正義ってどこの国の人なんですか?」とか編集さんに聞きながらビルに入るのは、考えてみれば本人がいるかもしれないんだから危険です。綺麗なオフィスビルですが、編集部になるとムードが一変するのはさすが。物置や棚と見せかけて、パソコンの本体ケースを再利用しているあたりに自作魂を見ました。
エンハンスドCDを見ようとしてQuick Timeの最新版をインストールしたんですが見ることができず、やむをえずそのCDに入っていた古いバージョンを入れたら、今度はそれ以来デスクトップ上のアイコンの位置がおかしくなってしまいました。で、その話を編集さんにして紹介されたのがSnapIt。アイコンレイアウトを保存できるソフトで、あっさり問題が解決してしまいました。欲しいソフトって、ちゃんと作ってくれてる人がいるもんですね。
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7月
1日
(thu)
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自分が中学生の時に何を考えていたのか、僕にはさっぱり思い出せません。思索などとはとても言えないけれど、確かに考えていたはずの数多くのことは消え去って、記憶の表面はつるんとしているのです。いや、それを言うなら大人になった今だって、無駄に頭をこねくり回しては大半を忘れ去っているのですが。僕はそんな人間であるだけに、14歳の中学生を描いた「エイジ」の心理描写の細かさに驚かされました。
学校、休部中のバスケ部、片思い、好きではないけれど付き合っている女の子、どこか演じているような雰囲気のある家族。主人公・エイジの住む新興住宅地で起きた連続通り魔事件の犯人が同級生であったことをきっかけに、エイジを縛るそんな要素はさらに重みを増していきます。そして彼は自分と犯人を重ね合わせ、抱えている暴力衝動を膨らましていきます。エイジが「キレる」という言葉に感じたのは、周囲との関係性が「キレる」ということであり、それは彼の願望でもありました。
この作品で特筆すべきなのは、中学生たちを安易にダメだと決め付けもしない代わりに、本当は純粋な心を持っているのだと安直に考えてもいない点です。エイジの友人・ツカちゃんが、テレビにインタビューされてつい悪態をついて、放送を見て自分で落ち込んでしまう部分には、酒鬼薔薇事件の際に彼の行動に一定の理解を示す発言をした中学生たちの心理を作者が理解しようとした跡が感じられました。言いたいことを言うことが格好悪く思えて何も言えず、それが逆に閉塞感を強めて暴発寸前にまで達するエイジの心理も非常に丁寧に描写されています。嫌な世の中だと嘆く大人たちを横目に、悪意もあれば善意もあるのだと生きる少年たちの姿も清々しいのです。
ただそれだけに、犯人の中学生がクラスに戻ってくる場面は、あまりに肩透かしでした。教師であるエイジの父によって、少年法についての「講義」まで途中にあるのに、これでは暖かくも冷静な視点が最後に来てぼやけてしまった印象です。「まぁ、朝日新聞に連載されていた小説だからねぇ」と諦めるのは、意地が悪いかもしれません。
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